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舞台は世界へ! “頂”からの景色を眺めるための挑戦がはじまる
- 「横浜から世界へ」。現在でも神奈川県を拠点に競技に挑む天笠選手は、横浜の人と街に何度も助けられたと語るほど地元に強い思い入れがあります。2021年からはワールドカップに参加するなど、国内だけでなく世界を舞台に戦う天笠颯太選手。高校時代に負ったけがも乗り越え、ポジティブに競技に向かい世界の頂点をめざす姿勢に胸を打たれます。
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とにかく登るのが楽しかった!壁の上から見る景色に魅了された少年時代
- 「最初に壁を登ったのは、小学3年生の時です。当時、住んでいた東神奈川から父親と一緒に横浜のボルダリングジムまで足を運び、恐る恐るホールドに指をかけたのを覚えています。怖さはあったのですが、登るという行為は楽しかった。何より高いところから下を見るのが好きでした」とはじめて壁に挑んだときのことを思い出す天笠選手。
小学5年生の時には競技としてスポーツクライミングを本格的に始め、初めて出場したJFAユース選手権は5位でした。中学生になると、世界大会のワールドユースをめざすようになり、意識も変わっていきました。ワールドカップで年間優勝した安間佐千(あんま・さち)選手に憧れ、動画サイトをチェックしていました。ある日、ジムで遭遇して一緒に写真を撮ってもらったのはいい思い出だそうです。 -
- ▲登ることが楽しくて仕方がないと話す天笠選手。世界の頂をめざし、競技に挑みます
日本大学に進学し、世界大会に出場できるようになった19年8月、大学1年生でイタリアのIFSC世界ユース選手権で初優勝を飾りました。大学3年生からはシニアのワールドカップにも参戦しています。21年4月には、スイスで開催されたIFSCワールドカップに初出場し、6位入賞。9月にはロシアで行なわれたIFSCクライミング世界選手権の舞台にも立ち、ボルダリング(ボルダー)・リードの2種目で日本代表に選出されました。
22年は世界大学選手権でボルダリング(ボルダー)・リード共に3位入賞。リードでは引き続き日本代表として、世界の舞台に立ちます。「ボルダリングにおいてジャパンカップで成績を残せず、日本代表から外れてしまったのは昨年もっとも悔しかった出来事でした。しかし、24年に開催される4年に1度の夢舞台出場への道が閉ざされたわけではありませんので、気持ちを切り替えて競技に挑み11月の大会で2位に入賞することで強化選手に選ばれることができました」
1年を通して、良しあしの差が激しかったと振り返る天笠選手。自身が課題に挙げる、フィジカル強化に加えメンタル面での成長も経て、世界に挑戦したいと話してくれました。 -
生まれ育った横浜の街と人に、競技を通して恩返しがしたい
- ワールドカップで世界を転戦するようになり、心配ごともできました。遠征費用です。スポンサーの支援を受けていない選手は、入賞できなければ、基本的に全額自己負担となります。経済的な負担について悩んでいるときに、同じ大学に通うスポーツクライミングの本間大晴選手が明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を紹介してくれました。
すでにサポートを受けていた本間選手に概要を聞き、自身で調べてみると、「僕にとってスポーツクライミングを通じて、生まれ育った地元の横浜に恩返しできるのは、まさに願ったりかなったり。僕は人間として、クライマーとして、横浜の街と人に支えられて成長してきましたから」と共感できることばかりでした。 -
世界で活躍して、今は亡き恩師にメダルを捧げたい
- 天笠選手には忘れられない恩師がいます。神奈川県立横浜清陵総合(横浜清陵)高校時代、大会で学校を休まなければならなかったとき、当時の担任だった坂本芳恵先生が競技に理解を示してくれました。「ワールドカップに出たら、絶対に応援に行くからね」という先生の言葉は励みになっていました。しかし、その恩師が3年時に亡くなりました。「先生にワールドカップで活躍する姿を見せてあげたかったです。もう直接会うことはできないですが、近い将来、墓前に世界のメダルを届けたいと思っています」そう静かに語りました。
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今でも度々訪れる横浜の海と夜景で気分をリフレッシュ
- 高校時代は競技面でも苦しいことがたくさんありました。そんな時は気分転換にランニングのトレーニングを兼ねて、自宅から40分かけてみなとみらいの夜景をよく見に行ったそうです。
「何も考えずに横浜の海を眺めているだけでよかった。観覧車がきれいにライトアップされていて、心が癒やされました。昼間の横浜はまた違う魅力があります。赤レンガでは様々なイベントが催されていますし、本当に活気がある。そういったイベントに参加することで、競技の疲れをリフレッシュしているんです」と、地元への愛着を語ってくれました。 -
けががあったからこそ学んだ、競技外の知識の大切さ
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- ▲大きな岩を登る天笠選手。フィジカル強化を果たし、世界とも対等に戦えると話します
横浜の人と街に助けられながら、自分自身とも向き合ってきました。両手の中指を骨折し、半年ほど競技を離れたこともありました。けがをしていた高校1年の前半はワンダーフォーゲル部に入り、ファミリーレストランでのアルバイトも経験しました。
いままでにないくらい学校生活が楽しくて、壁を登る意欲も消えかかり、両親にも「スポーツクライミングをやめたい」と話したこともあります。両親から「もう一度登ってみて、それでも嫌ならやめれば」と言われて久しぶりに壁に向かったところ、不思議なもので、楽しくてモチベーションが上がり、これまで以上に練習に打ち込むようになりました。
神奈川県には小学校時代からずっと勝てなかった土肥圭太選手と小西桂選手といったライバルたちにも「絶対に勝ってやるぞ」という気持ちで、ひたすら努力したそうです。「今思えば、高校時代の下積みが、大学生になってからの結果につながっていると思います」と、当時のことを振り返ってくれました。
また、けがの経験を生かし大学では栄養学や体の仕組みを学ぶことで競技力向上に努めています。「食事の改善など、競技面以外の部分もアスリートとして徹底するようになりました。その結果、日常生活の質も上がり競技にいい影響を与えてくれました」 -
世界の頂をめざす! 目標は夢舞台でのメダル
- 今後の目標は、ワールドカップでの優勝、そして4年に1度の夢舞台に向けて実力をつけていくことです。
世界との戦いにおいては自信があると語る天笠選手。「実は国内よりも国外のほうが得意なんです。というのも、国内だとバックグラウンドまで知っている選手も多く、悪い意味でリスペクトしすぎてしまう。その点、海外選手相手であれば良い緊張感で競技に臨めるんです」
一方で、海外選手と対峙する上ではまだまだ筋力などのフィジカル面の強化が必要だと、自身の課題も理解しトレーニングに取り組みます。
「集まった支援金は国内外への遠征費に充てさせていただきたいです。金銭だけでなく実際に届く『頑張ってください』『応援しています』という声にも勇気づけられており、感謝しかありません」と、プログラム支援者への思いを口にしていました。
まだ見たことのない、輝くような景色を見るために。高みをめざして登り続けます。
(取材・制作:4years.) - ================
2024年2月29日をもちましてクラウドファンディングを終了いたしました。
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