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応援してくださる方々の声が大きな支え 再び世界最高峰の舞台へ飛躍を誓う
- フェンシング女子フルーレ日本代表として活躍する東莉央選手。妹の晟良(せら)選手とともに、多くの国際大会に出場。持ち前のスピードと抜群のテクニックに磨きをかけ、世界最高峰の戦いを制するべく、日本国内のみならず、海外でも合宿を重ねています。「もっと強くなりたい」という思いを抱き、大きな目標へチャレンジしています。
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妹・晟良選手と支え合い、競い合った
- 剣を自在に扱う、他競技にはない魅力。母親の影響で、小学5年生だった東選手はフェンシングの楽しさに魅了されました。間もなく、全国大会や国際大会も経験し、勝つことを覚えた少女は基礎練習にも弱音を吐くことなく、強くなるため、日々汗を流してきました。
そして、そんな彼女にとって欠かせぬ存在が1歳下の妹、晟良選手です。姉の莉央選手が「運動会の時もひとりでかけっこすらできず、先生に手を引っ張られてくるような泣き虫だった」と振り返るように、幼いころの晟良選手は人見知りで引っ込み思案な泣き虫。学校帰りにも友達の家へ遊びに行く姉の後をついて来ていた妹と、一緒にフェンシングを始め、姉妹そろって頭角を現します。
「お互い一緒に頑張ろう、という存在であることは変わりません。でも、種目が同じフルーレである以上、大会になれば絶対に対戦する。その時は負けたくないと思っていました」
小学6年生の時に出場したドイツでの国際ケーニヒ杯小学生の部では、晟良選手が優勝、莉央選手は準優勝しますが、中学の全国大会、高校のインターハイでは莉央選手が優勝、晟良選手は準優勝。最も近くで支え合い、ライバルでもあった妹の存在は莉央選手に「強くなりたい」と思わせるとともに、フェンシング選手として自らの武器は何かを考えさせるきっかけも与えてくれました。
「妹のようにアタックを得意とする攻撃型でもなく、守備型でもない。特別にこれが得意、というものがありませんでしたが、何かに偏らないことも自分の武器になる。いいところを磨いて伸ばせるように、と考えて練習に取り組むようになりました」 -
- ▲高校生時代の東莉央選手(右)。ライバルでもある妹と成長してきました
- 競技中はマスクを着用するフェンシングですが、得点を取った後は「私が取った!」とばかりに、選手たちは大きな声で叫びます。「それもひとつの魅力」だと莉央選手。勝利を求める強い意志が、それぞれの声にも込められているのです。
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地元・和歌山の人々の応援は「私の頑張れる源」
- 海に面する穏やかな気候の和歌山県。四姉妹の長女として、東選手は高校3年生まで和歌山で育ちました。2017年に日本体育大学へ進学後は東京を拠点としていますが、やはり故郷への思いは特別です。
「東京は外に出るだけで人がせわしなく動いている感じがしますが、地元に帰るとゆっくり時間が流れているように感じます。畑や田んぼがあり、とても落ち着きます。何より、自宅に帰ると『どこに隠れているんだ?』と思うぐらい、カエルの“ゲロゲロゲロ”という大合唱が聞こえてきて、その鳴き声を聞くだけで『帰ってきた』と実感します(笑)」
国内大会や国際大会で結果を残し、姉妹そろってテレビや新聞など、多くのメディアに取り上げられる機会も増えました。家族や友人はもちろんですが、その報道を見て、地元の人たちからも「頑張ってね」と声をかけられることも増えました。応援してくださる方々の思いを感じるたび、「もっと強くなりたい」と誓うのです。
「応援してくださる方々の存在があるから、苦しい時も頑張れる。自分だけではそんなに強くないので諦めてしまうかもしれませんが、応援してくださる方がいるから『ここで諦めるのは嫌だ』と思うことができる。家族や友達、そして地元の和歌山の方々、応援してくださる人たちの存在が、私の頑張れる源です」 -
- ▲応援してくれる人たちがいるから「苦しい時も頑張れる」と言います Ⓒ日本フェンシング協会/Augusto Bizzi/FIE
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もう一度、世界最高峰の大会に出場したい
- 「年齢が上がり、シニアの国際大会に出場するようになった当初は、予選すら勝ち上がれず、勝てる気が全くしませんでした。でも、振り返ればその経験があったからこそ、先のことばかりを考え過ぎるのではなく、まずは予選を勝ち抜く、勝ち上がれたらひとつでも多く勝って戦う、と目の前の目標に集中できました。それは今も変わりませんし、海外での勝てなかった経験が、その考え方を身につけさせてくれました」
東選手は、遠い将来を見るよりも、目の前の課題や目標をひとつずつクリアしていくことを大切にしています。
「まずは目の前のことを一生懸命やりきる。それができれば成績にもつながり、その先にもつながっていくと感じています」
20年は新型コロナウイルス感染症の影響で国内・国際大会が開催されず、モチベーションを維持しづらい状況でした。
徐々に国際大会も再開されるようになりましたが、東選手は本来の調子が取り戻せず、苦戦を強いられることも増えた、と振り返ります。「細かい感覚の部分なのですが、調子のいい時には相手の動きも全部見えて、そのうえで自分が相手をコントロールできている。でも今は、逆に相手を見すぎてしまって全体がとらえきれていない。メンタルの部分が課題なのかな、と思うので、試合にどう入るかというところから見直して取り組んでいます」
そして21年には、晟良選手とともに世界最高峰の大会の日本代表に選ばれました。フェンシングを始めたころは、自分にとってずっと遠い場所にあるものだと思っていましたが、その舞台に姉妹で出場を果たしました。
「本当にうれしいです! 一番うれしいのは妹と一緒に出場できることです。海外の選手とは身長差があるから背が低い自分たちは動くしかないんで、フットワークや激しい動き、そんなアクティブな動きを見てもらいたいです」と大会前に語っていた東選手。
大会では思うような結果は出せませんでしたが、メダリストの戦いを近くで見たことで、「今後の大きな目標は世界最高峰の大会にまた出ること。そして、21年の大会よりも上の成績をめざしたい」と今後の目標を話してくれました。
「やはりもう一度、世界最高峰の大会に出場したいし、そこで勝てる選手になりたい。前回は観客が来場できず、応援がない中で戦うのは寂しかったので、次はたくさんの応援の中で力強く戦いたいです」 -
- ▲23年5月に中国で開催された国際大会に出場した東選手(右)Ⓒ日本フェンシング協会/Augusto Bizzi/FIE
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和歌山の小学生にフェンシングを教える活動も
- 大きな目標をかなえるために、東選手は「もっと強くなるために必要な支援を受けたい」と、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に再び応募し、2年ぶりにクラウドファンディングにも参加することにしました。国際情勢も変わり、海外遠征の渡航費も大きな負担となっていますが、強くなるために海外の強豪と戦うことは欠かせません。
「クラウドファンディングを通じて応援してくださる方々の声が、大きな支えになっていました。私自身も、応援してくださる方に活動報告をすることがモチベーションにもなっていたので、多くの応援を糧にして頑張りたいです」
国際大会を終えて、22年に和歌山に帰省した際は、地元でフェンシング普及事業にも参加。60名近い小学生にフェンシングを教える、初めての経験も味わいました。「人前で話すことがないので緊張した」という東選手ですが、「子供たちが楽しんでくれてうれしかった」と笑顔。頑張っている姿を見せれば、フェンシングを始めたくなる子供たちも増えるでしょう。そのためにも結果を残し、より高みをめざすことが地元への貢献につながってくるはずです。
(取材・制作:4years.)