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地元の支援が原動力! カヌースプリントで世界をめざす
- 高校入学時からカヌーを始め、その後わずか3年でカヌースプリント競技の日本代表にまで上り詰めた原綾海選手。兵庫県の大学を卒業後は、地元の島根県出雲市に戻り、2024年の最高峰の世界大会をめざして競技活動を続けています。その原動力となっているのは、生まれ育った地元の方たちの温かさです。
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高校からカヌーをはじめ、3年で日本代表に
- 原選手は、武庫川女子大学在籍時に世界選手権14位、世界大学選手権8位など、日本代表として欧州のカヌー先進国の選手たちと戦ってきました。現在は大学を卒業して地元の島根県出雲市へ戻り、24年に迫った世界大会に向けて、練習に励む毎日をおくっています。
原選手がカヌーを始めたのは、出雲農林高校に入学してからと遅いスタートでした。しかし練習を重ねることで経験の差を乗り越え、3年時にはインターハイ、日本ジュニア選手権、国体の500mで優勝。日本代表として世界ジュニア準決勝進出、アジアジュニア2位と、世代トップレベルの選手にまで上り詰めました。
「中学時代は陸上部にいてまったく水に縁のない生活で、最初はカヌーから落ちないようになるまで1カ月かかりました。それでも3年間頑張ることで、国際大会に出場したいと具体的な目標を持てるまで成長できました。この3年間で競技人生はもちろん、ものごとの考え方も変わりました」 -
- ▲競技を始めた頃はカヌーから落ちないようになるまで1カ月かかったといいます
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地元の企業に就職し、最高の環境が整う
- 高校時代は「練習の質も量もライバルに勝っていくことで経験の差を埋めよう」と、勉強と休息以外の時間はすべてカヌーのために費やし、貪欲(どんよく)に練習を続けることで、インターハイや日本ジュニア、国体での勝利につなげました。大学入学後も日本選手権2位や世界選手権14位など、国内外で結果を出し続けてきましたが、目標としていた21年の世界大会への出場はかなわず、日本代表も20年を最後に復帰できていません。
競技を続けるかどうか、悩む時期もありましたが、最終的には次のパリでの世界最高峰の大会を目標に、もう一度競技に取り組むことを決めました。21年末に出雲市の実家へ戻り、神戸(かんど)川を拠点に練習しています。練習に必要な器具は出身校である出雲農林高校から借り、卒業生として高校生を指導しつつ、生徒たちと一緒に練習を重ねています。大変な面もありますが、地元での生活は心が落ち着き、練習に励むことができると原選手は感じています。
また、いままでは競技生活を続けるためにアルバイトをしていた原選手でしたが、23年、理解ある企業に就職することができました。
「会社の社長がスポーツ振興に関わっており、自分が世界最高峰の大会出場に向けて頑張っているところを見て採用してくださいました。自分も以前から好きで、市内でも有名な漬物店の『有限会社けんちゃん漬』という会社で、平日は一日勤務して、夕方から練習をするという生活です」
社会人アスリートとして、一定の練習時間が確保できたうえで、好きな商品に携わる仕事で安定した収入が得られることは、ある種とても理想的です。特に個人スポーツでこうした環境を整えることができたのは、地元での競技活動のたまものといえます。
「神戸川は波が立たなくてこぎやすく、全国的に見てもカヌースプリントに最適な川のひとつと言っていいのではないでしょうか。高校時代のことを思い出しながら練習できるので、地元に戻って良かったと思います」
観光スポットとしても知られる「稲佐の浜」は、原選手のランニングコースです。
「家から走って15分。実家に戻って練習するようになって初めて近いことに気づきました。ここで海や波をじっと見ていると心が落ち着いてきます」
原選手は、地元の方の紹介をきっかけに、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に参加しました。
原選手自身、地元の方からの応援が大きな力になっています。「これからは支えられるだけでなく、地元である島根県出雲市を支える地域の一員として活動したいと考えています。まずは選手として、自分の努力する姿が地元の活力になれれば」という思いから、22年度に引き続き2度目のプログラム参加となります。支援金については、大会や代表の練習へ向かうための遠征費に充てたいと考えています。 -
頑張っている姿を見てもらいたい
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- ▲原選手がこぎ方から見直しているのは、そこに成長の可能性をみているからです
原選手は22年9月に行なわれた日本選手権で2位に入ったことから、代表候補選手として代表合宿などにも参加し、代表復帰のために努力を重ねてきました。しかし、23年3月に行なわれた代表選考会では結果が残せず、残念ながら復帰はかないませんでした。ただし、これで24年のパリへの道が閉ざされたわけではないと、原選手は考えています。そのためにも、国体や日本選手権など、日本の上位選手が出場する大会で結果を残していくことが大切です。激化する競争のなか、原選手はあえて初心に戻り、パドルのこぎ方から見直しているそうです。
「カヌーを始めて10年、これまではがむしゃらにこぐスタイルだったのですが、このままでは成長もないし、体力的にも難しくなってくるので、今は質も重視して、パドルの入水の角度など、こぎ方にもこだわって見直しています」
カヌースプリントは、上位選手同士の争いともなれば、コンマ1秒の差で明暗が分かれます。こうした細かいところを修正していくことで、順位を上げることが可能となります。フィジカル強化のためのパワー系のトレーニングを行ないつつも、どれだけ効率的にこぐことができるか。貴重な10年間をカヌーに捧げてきた原選手に備わった経験という武器で、厳しい状況を打破してく考えです。
「4年に1度の大会をめざしているといえば、スポーツを知らない人にも伝わります。パリを目標に努力している姿、頑張っている姿を皆さんに見てもらって、皆さんに元気になってもらえるように頑張りたいと思っています」
さらに原選手は、世界の大会だけでなく、島根県代表として戦うことのできる国体にこだわりを持っています。23年のかごしま国体はもちろんのこと、その視線の先には30年の島根国体があります。
「今勤めている会社にも、島根国体までは(競技を)頑張りたいということを理解してもらっています。その頃には32歳なので勝負できるかどうかは分かりませんが、それまでいただいたすべてのあたたかいご支援への感謝を込めて、自分が地元の国体に出場して恩返しするというのが、一番自分には合っていると思っています。自分にとっては30年が最終目標なのです」
大学に行っている頃も含めて、ずっと地元の方々に支援してもらっていたことが、原選手が競技を続けるうえでの原動力となりました。そうした地元・島根県の方々のアスリートへのリスペクトを、原選手が身をもってアピールしていくことは同じく地元で活動するアスリートたちを励ますことにもつながるでしょう。
「高校でカヌー競技を始めて様々な方々と出会う中で、スポーツには人を元気にする力があると感じています。そして、スポーツは実施する人とそれを応援する人、人と人とのつながりで成り立っているものだと強く感じるようになりました」とも、原選手は語ります。
地元にこだわり、地元でスポーツの可能性を広げようと努力する、原選手の今後の活動に注目です。
(取材・制作:4years.)