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フェンシングと法曹界。二つの夢に向かって邁進する“二刀流”アスリート
- 「競技と勉学を両立することが目標ではなく、どちらの夢もかなえるのが目標なだけです」と語る原田紗希選手。夢舞台でのメダル獲得と司法試験の合格、二つの最高峰の目標に向かって邁進するその姿勢は誰もが真似できるものではありません。強い決意を胸に語る言葉の端々からは、彼女の覚悟が伝わってくるようです。
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強みのディフェンスで攻撃の幅を広げる! 長身を生かして、世界へ
- 「相手をじっくり観察し、ここだ、という瞬間を逃さず攻める。“コントルアタック”」と言われる、相手の攻撃を阻止してから繰り出す攻撃が、三田フェンシングクラブの原田紗希選手(東京都出身)の得意技です。
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- ▲2021年の全日本選手権決勝 Ⓒ日本フェンシング協会
「相手の特徴や出方を見て、そこにプラスして自分は何がしたいかを考える。どう攻めるか、と戦術を考えたり、(相手と)駆け引きをしたりするのがすごく楽しいです。元々、手先が器用だったこともあり、細かな調整が得意だったので、相手が来るのを待って、守って、一瞬の機会を狙って突く。その正確さが自分の強みだと思っています」
小学5年生でフェンシングと出合い、中学に入学してからエペに転向。172cmという長身を武器に国内で結果を出し、視線の先には世界があります。 -
世界の頂点をめざして、経験を積むためにも海外遠征は不可欠
- 幼い頃はバレエを習っていましたが、「別のこともやってみたい」とフェンシング教室に参加し、初めて剣を持った時から「楽しい!」とフェンシングの魅力に引き込まれました。中学生になり、日本代表として国際大会に出場するようになってからは、海外遠征をしながら学業と両立しなければなりませんでしたが、苦になることはなかったと振り返ります。
「とにかくフェンシングが楽しくて。テスト期間中で勉強をしなければならない時も『早くフェンシングがしたい』と思っていたんです(笑)。始めた頃はこれほど長く続けると思っていませんでしたが、少しずつ勝てるようになり、世界をめざす先輩方と一緒に練習や試合ができるようになって、自分の意識も世界へ向くようになりました」
21年夏に行なわれた世界最高峰の大会で、フェンシングの男女6種目のうち、女子エペだけが団体戦の出場がかないませんでした。厳しい現実に直面し、原田選手は悔しさを抱くとともに、「もっと強くなりたい」という気持ちもかきたてられ、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募するきっかけにもなりました。
「同じ種目の(成田琉夏)選手がプログラムに参加、活動しているのを知り、とても魅力的な取り組みだと感じました。自分の活動を発信し、地元の方々に応援していただけるような選手になりたいと思うだけでなく、コロナ禍で人と人のつながりが薄れる中、スポーツ、フェンシングをきっかけに人と人をつなげるきっかけになれればいいな、と思い応募しました」
コロナ禍で海外遠征もままならないことも多く、国内での試合がメインとなりましたが、22年度末には海外遠征を実施。海外選手との対戦でも、勝利できるようになってきたと話します。「海外選手相手だと、ペースをつかまれることが多かったのですが攻撃の幅が増えたことで、安定して勝てるようになりました」
今よりもっと世界で勝てる選手になりたいと考えると、欧州を中心に強豪選手がそろう大会への参加や海外遠征を増やしていくことが不可欠。今回のプロジェクトで集まった支援金は、海外遠征や剣などの用具の購入に充てる予定です。 -
けがの経験を糧に得た新たなスタイルと、世界で戦うための課題
- 一歩ずつ着実に前へ進んできたように見えますが、すべてが順調だったわけではありません。特に苦しかったのは、けがが重なった高校時代。1年生の頃に手首をけがし、リハビリをしながら練習に取り組む中、翌年にはひざのけがに見舞われました。手術も余儀なくされる状況で、手術を選択すれば長期間フェンシングから遠ざかることになります。
原田選手は、トレーニングやリハビリで症状を緩和させる選択をしました。体の使い方から見直し、フォームの改善や必要な筋肉を強化したことで、徐々に回復していったそうです。当時の取り組みが競技力の向上にもつながり、今振り返ると必要な期間であったと言います。
「こんなに楽しいのに、剣を持てない。脚を動かさなければならないのに痛くてできない。どうして自分だけフェンシングができないんだろう、と思っていたし、これからもフェンシングを続けられるのか不安でした」
先の見えない苦しい時間。それでも、原田選手はけがが重なる逆境も新たな「チャンス」と捉えました。
「それまではウエイトトレーニングに本格的に取り組んでいたわけではありませんでした。ウォーミングアップやクールダウンの意味や、体の大切さを考えたり、知ろうとしたりしていなかったなと。だからこの機会に自分の体を知り、準備や動かし方、それまではなかった知識を得ることができて、結果的にその時間が成長につながったと思います」
けがを乗り越え、大学1年生で全日本選手権初優勝。「長くフェンシングを続けていく自信になった」と振り返るように、逆境は原田選手が大きく成長するきっかけになりました。
23年の全日本選手権では3位に入賞。この試合が昨シーズンのターニングポイントになったと原田選手は話します。「戦うのは目の前の相手なのはもちろんですが、自分自身との戦いに勝てた試合だったんです。勝ちたい思いが強いばかりに焦ってプレーに悪影響を与えることもあるんですが、全日本選手権ではそれがうまく制御できていました。あの試合の感覚を思い出して、再現性を高めていきたいです」と、自身の課題とも向き合います。 -
競技だけでなく、法曹界で活躍する夢も追いかける
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- ▲23年、スペイン・バルセロナで開催されたワールドカップ団体に出場 Ⓒ日本フェンシング協会/Augusto Bizzi/FIE
フェンシング選手として競技力を磨くだけでなく、大学院法務研究科で学ぶ原田選手にとって、将来、法曹界で働くことも夢のひとつ。一見すればスポーツと法律は互いに遠い世界にあるように見えますが、アスリートとして自身の身を守るためにも、様々なルールを知らなければならず、そのために不可欠なのが法律です。高校時代よりもさらに、学業と競技の両立は簡単ではなくなりました。勉強に集中する時期とフェンシングに力を注ぐ期間に折り合いをつけながら、新たな目標へ向けてまい進する日々を過ごしています。
「決して両立することが目標なのではなく、それぞれの目標があってどちらも頑張っているというだけ。大変だけど充実した毎日を過ごしています」
大きな夢や目標を抱くなか、1日や1週間、1カ月は目まぐるしく過ぎていきますが、そんな原田選手にとって“癒やし”になるのが地元の東京都千代田区で過ごす時間だそうです。
「千代田区は官公庁や企業も多いのでビジネス街というイメージが強いと思いますが、皇居の周りは自然が豊富ですし、古本屋が並ぶ神保町は下町の雰囲気があってお気に入りの街です。何かうまくいかないことがあった時や、落ち込んだ時には私にとってパワースポットとも言える神田明神へお詣(まい)りに行くと心が落ち着くんです。家族がいるところ、というのはもちろんですが、私にとっていつも『帰りたい』と思える、心がホッとする場所です」 -
スポーツをきっかけに、人との縁をつないでいける存在になりたい
- 昨今の国際情勢や、過去数年のコロナ禍もあり国際大会の中止も経験した原田選手。“当たり前”の大切さを痛感する機会も増えたといいます。だからこそ帰れる地元、帰りたい場所があるのは心の支えでもあり、自らがめざす場所へまっすぐ進むための強さでもあります。
「強い選手には必ず『この人と言えばこの技』という突出したものがありますが、まだ私にはありません。まずは『これは自分が世界一だ』と思える技を持つために、相手のアタックを守ってから攻めるコントルアタックだけでなく、そこから先、次に繰り出す技を磨きたい。どんな相手に対しても、自分の技を決められる強さを持って、一生懸命、全力でフェンシングを頑張ります。その姿を、少しでも多くの方に見て、応援していただけたらうれしいし、フェンシング、スポーツをきっかけに、地元の方々、人と人の縁をつないでいけるような存在になりたいです」
今シーズンの目標は、国内ランキングで上位になること。「国内の試合でいい成績を残し、ランキング上位になることでナショナルチームとして活動したいと思います。長い目で見れば、その活躍が4年に1度の大舞台出場へとつながると確信して日々努力を続けていきます」
夢へ向かって真っすぐに。原田選手の挑戦は始まったばかりです。
(取材・制作:4years.)
※ヘッダー、プロフィール画像 Ⓒ日本フェンシング協会 - ================
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龍星