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アジアの頂点に立ち、世界へ羽ばたく! ボクシングで地元に笑顔を届ける
- ボクサーらしい強気な姿勢ながら、自身を細かく分析し世界の壁を越えようとしている原田周大選手。22年は、これまで以上に海外での戦いを経験。その中で芽生えたのが「自分の左ジャブは世界に通用する」という自信。自分の武器を磨き続け、身体能力にたける海外選手たちに挑み、アジアの頂点、そして世界の頂点をめざします。
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サッカーからボクシングへ!「頑張ったな」のひと言がうれしかった
- 原田選手がボクシングを始めたのは小学生の時、兄の影響で北九州市にあるHKスポーツボクシングジムに足を運んだのがきっかけでした。グローブをつけて3カ月が経った頃、初めてのスパーリングに挑戦したときのことは、今でも覚えているそうです。最初は怖かったのに徐々に手が出るようになり、普段はめったに褒めない桑原秀彦会長から「頑張ったな」と声をかけてもらったことは、当時サッカー少年だった原田選手が、ボクシングにのめり込んでいくきっかけになりました。
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世界を経験してわかった、自分の強み
- 北九州市の豊国学園高校では、2年生の春に全国高校選抜大会で3位、3年生の夏にはインターハイで全国3位、そして福岡代表として出場した茨城国体では準優勝と全国大会で多くの実績を残しました。杉本幸夫監督の指導はもちろん、全国2冠を達成した2学年上の川谷剛史選手(東洋大学)からは大きな影響を受け、常に謙虚で周囲に感謝する気持ちを持つ大切さを学び、人間的にも成長しました。
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- ▲サンドバッグに拳を打ち込む原田選手
- 高校卒業後は、上京して専修大学でボクシングを続けています。2021年11月には全日本選手権(バンタム級)で初優勝を果たし、22年4月、アジア競技大会の日本代表(57kg級)にも選出されました。さらに22年9~10月にトルコで開催された、FISU大学ワールドカップに出場し3位入賞するなど、世界を舞台に戦い始めました。「昨年は自分にとって本当に濃密な1年でした。世界を経験して、自分の課題も見えてきましたね」と原田選手。海外選手の身体能力や身体の使い方に驚いたと同時に、自身最大の“武器”も再確認。「自分は左ジャブが得意なのですが、この技は世界を相手にしても十分通用すると思いました」
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自分の原点は北九州市、東京に来ても変わらない地元への思い
- 「今の拠点は東京ですが、生まれ育った地元とのつながりは切っても切り離せません。北九州には、僕の人生のほぼすべてが詰まっています」と原田選手は話してくれました。地元では友人たちにも恵まれました。楽しかった思い出としてすぐに頭に思い浮かぶのは、高校1年生のときに出場した福岡県大会。減量に苦しみながらも優勝し、中学校時代の友人たちに小さな祝勝会を開いてもらいました。地元の友人たちと一緒においしいご飯を食べて、みんなから「おめでとう」と言われた時の喜びは忘れられないそうです。
ボクシングで行き詰まったときには、仲間たちと自転車で40分ほど走り、カルスト台地が広がる平尾台でよく星空を眺めていたそうです。北九州市内の夜景を一望できるポイントがあり、そこから見る夜景はすごくきれいで、大学生になった今でも行きたくなる場所だといいます。 -
世界で結果を出して、恩師や仲間がいる地元を盛り上げていきたい
- 「自分の人生を支えてくれている仲間や恩師がいる地元に、ボクシングを通じて何か恩返しがしたい」と考えるようになった原田選手。21年の全日本選手権で優勝した後、実家に帰省したときに、恩師の一人であるHKスポーツボクシングジムの桑原会長から、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を紹介されました。世界に出て結果を残すことで北九州を盛り上げていけたら良いと思い、プログラムへの参加を決めました。
「プログラムに参加してみて、以前よりも声をかけられることが多くなりました。特に地元のジムで練習しているときは、あまり知らなかった年上の方から話しかけられるなど、支援金だけでなく声援が自分の力になっていると思います」と、原田選手。集まった支援金は、パーソナルトレーニングや海外遠征等に充てる予定だと話します。 -
休んだからこそわかった、「自分にはボクシングしかない」
- もちろん、ボクシングをしていれば楽しいことばかりではなく、苦しんだ時期もありました。これまでの競技人生のなかで、高校2年生の秋は一つのターニングポイントでした。8月に行なわれたインターハイに初めて出場したものの早々に負けてしまい、10月の国体でもすぐに敗退。全国大会で思うように結果を出せず、思い悩んでいました。
そんなときに杉本監督から「ちょっと休んだほうがいい」と言われ、1週間ほど部活から完全に離れることに。いざボクシングのない学校生活を送ってみると、何の張り合いもなくて「僕からボクシングを取ったら何も残らないな」と感じました。1週間というわずかな空白期間でしたが、改めて競技に向き合うことができたのです。「一度立ち止まって、自分のボクシングを見つめ直すことができたのは良かったです」
自身のボクシングを、「パンチを一発でももらうと、ポイントを取り返すために焦って、前に出ていました。そういった戦い方では、なかなか勝てません」と分析。以前にも増して考えてリングに上がるようになり、冷静な試合運びができるようになりました。「杉本監督のひと言がなければ、3年生で結果を残すこともできなかったと思います」 -
胸を張って地元に帰りたい! 地元の仲間が働く姿も刺激に
- 北九州を出てからも、地元の仲間には助けられているという原田選手。コロナ禍の影響で公式戦が中止になり、練習もまともにできない時期に気がめいってしまい、「何のために東京に来たのか。いったい自分は何をしているんだ」と自問自答を繰り返していました。
そんなときに地元の友人たちに連絡を取ると、「こっちは毎日、仕事を頑張っているよ」と言われて、はっとしました。一生懸命に働く仲間の姿が刺激となり、「僕も今やれることをやろう」という気持ちになりました。東京に出てくるときに北九州空港まで見送りに来てくれた人たちの顔を思い浮かべ、「胸を張って帰省できるように、ボクシングに打ち込むぞ」と心に誓ったのです。
そして、ようやくその思いがひとつかないました。21年全日本選手権の優勝を手土産に地元に戻ると、みんなは大喜び。「信じていたよ」と言葉をかけられたときには胸が熱くなりました。 -
アジアの頂点へ立ち、4年に1度の夢舞台へ
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- ▲23年の目標はアジア制覇。上位入賞することで、4年に1度の大舞台への出場権を獲得できる
- 23年の目標は9月のアジア競技大会で優勝すること。そして、24年には4年に1度の夢舞台に立ち、メダルを取ることです。「僕のボクシングキャリアは、国内で優勝して終わるつもりはありません。次はアジアの頂点を狙います。僕はまだまだ成長できると思っています」
そしてもう一つ。「ただ勝つだけではなく、ボクシングで感動を与えられる選手になり、少しでも地元に恩返しをしたい」と力強く語ります。
もっともっと強くなるために。原田選手の挑戦は続きます。
(取材・制作:4years.) - ================
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