-
日本歴代3位の17m00を記録! 世界に羽ばたく期待の注目アスリート
- 高専を卒業後、2023年から地元・三重の企業に所属することとなった伊藤陸選手。進路選択最大の決め手だったのが「環境を変えずに、三重で活動できる」という点でした。試合でこそ実力以上のものを発揮できるという伊藤選手。慣れ親しんだ地元の方々からの声援を力にして練習を重ね、日本記録の更新、そして世界の舞台での活躍をめざします。
-
高専時代に記録した自己ベスト、日本歴代3位の記録!
- 23年からスズキ株式会社に所属する三重県出身の伊藤陸選手。走り幅跳びの選手だった父親の影響で小学2年生の時に競技を始め、短距離走や長距離走などいろいろな種目に挑戦しました。そのなかでも「勝てるので楽しかった」という走り幅跳びにひかれましたが、中学時代には目立った成績は残せませんでした。
厚い信頼を寄せる顧問の先生のアドバイスもあり、卒業後は近畿大学工業高等専門学校へ入学。軽い気持ちで挑戦してみた三段跳びで思わぬ好成績を残すと、ぐんぐんと記録を伸ばし、19年9月の日本インカレではU20の日本記録を42年ぶりに塗り替える16m34の大ジャンプを記録。さらに、躍進は続きます。21年の日本インカレでは自己ベスト17m00で優勝。この数字は、学生記録を塗り替えただけでなく日本歴代3位という好成績でした。 -
競技者としての自覚を持ち、支援者の思いを胸に跳ぶ
- 伊藤選手は競技力を上げるために「勉学に励むこと」も必要だと考えています。高専5年生だった20年度は陸上競技の動作解析をテーマに卒業研究を実施。専攻科に進んだ21年度からは、研究を深めるとともに、動作解析の技術を他の競技者にも使ってもらえるようになればと考えながら取り組みました。「高価な機械を使わずとも、スマホで撮影したデータでも正確な数値が出せるような研究がしたいです。自身の競技能力向上につながるのはもちろん、この研究が競技全体の裾野を広げることにつながればうれしいです」
シニアの全国大会で入賞するようになり、次はアジア、世界へと飛び込む段階に入りつつあります。そのための費用は、「学生であるうちは、自分だけで捻出していくのは難しい」と、20年度に明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」への応募を決めました。また、地元・三重で競技を続けると決断した伊藤選手にとって、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨は大いに納得できるものでした。23年は支援を受けて4年目となります。
支援を受けるにあたって感じたのは、競技者としての自覚でした。「支援を受けられる、そういうアスリートに自分もなったんだなと。ひとつ上の段階にきたなという思いがありました」
このプログラムに参加したことによって「応援してると言われることが増えました」と言う伊藤選手。三重県内の母校ではない高校の先生が応援してくれたり、支援者の中に小学校時代の先生の名前を見つけたりと、応援の輪が広がったという実感があるといいます。 -
高専卒業後も地元・三重をベースに活動を続ける
- 高等専門学校は5年制ですが、コロナなどの影響で専攻科に進み合計7年在学していたという伊藤選手。23年からは、担当コーチとの縁もあり地元のスズキ株式会社に所属することになりましたが、そのベースとなるのは三重への愛着でした。
「卒業後の(進路)選択肢は様々なものがありましたが、一番こだわったのは環境を変えたくないという点でした。スズキアスリートクラブは、自分が卒業した学校で練習する体制を敷いているということで安心することができました。所属は変わりましたが、事実上は高専8年目のような形で昨年同様の環境で練習させていただいております」と伊藤選手。高専時代と変わらない環境のなか、のびのびと練習に励んでいるようです。
「高専(進学)を決めたときから、地元にいるのが一番やりやすいんだろうなと、薄々気づいていました。新しい土地に行って順応するのは簡単ではないですし、それよりも地元で継続して強くなった方が、むしろ良い記録が出るんじゃないかと思います。友達や応援してくれる人が多くいる三重県が、僕にとって一番良い場所ですね」
午前中の時間は会社の勤務にあてている伊藤選手。「業務では、自分が知らないことを先輩社員さんたちが優しく教えてくれて大変助かっています。本当に良い会社に所属できて感謝していますし、競技・仕事どちらの面でも満足しています」と、社会人としての自覚も芽生えてきたようです。 -
- ▲小学生の時の伊藤選手。慣れ親しんだ地元で実力を伸ばしていきました
-
思い通りにいかないシーズンながらも、成長を感じた1年
- 22年シーズンは、日本選手権で初優勝を果たした飛躍の年にも見えますが、自身にとっては試練の1年だったと話します。
「陸上を始めてから、初めて自己ベストを更新できなかったんです。また、けがやコロナ感染なども重なって思い通りにいかないシーズンでした。日本選手権では優勝できたということで、ベースの力はついていると思いますが、大会の1週間前まで競技復帰できておらず自身のスケジュール管理不足を痛感しましたね」と振り返りますが、陸上以外の部分で大きく成長できた年だったのだそう。
「けがをしたということは、栄養価が偏っているなど自身が管理しきれていない部分があると感じ、食事面での知識をつけました。具体的に自分がなにをすればいいかを考えるなど、アスリートとして人間として、深い部分が成長できた」と語ります。 -
三段跳びの日本記録を更新し、4年に1度の夢舞台へ
- 三段跳び日本歴代3位の記録を保持する伊藤選手ですが、目標はもちろん日本記録の更新。「絶対に三段跳びの日本記録を塗り替えてやるぞと思っていますし、周囲からも更新を期待してくれる声がたくさん届きますので期待に応えたいです。U20の記録も42年ぶりに更新できたのだから、やはり僕がやらないと、という使命感のような気持ちです。今の日本記録保持者である山下訓史さんは、三重県出身でもありますから」
-
- ▲日本記録を更新し、4年に1度の夢舞台へと弾みをつけたいと話す伊藤選手
- もちろん、24年に開催される4年に1度の夢舞台への出場もめざしています。「24年の大会に出場するためにも、海外での試合を多く経験していきたいと思っています。23年は世界大会、アジア大会、アジア選手権と、コロナ禍での延期の影響もあり、多くの海外試合が実施予定です。一つでも多くの大会に出場し、優勝入賞を狙っていきたいです」と23年シーズンの目標を世界に定めており、クラウドファンディングで集まった支援金は数多く予定している海外遠征の費用に充てたいと話してくれました。
また「昨年のけがの影響もあり、三段跳びが中心の競技生活にはなりますが、走り幅跳びも継続して世界を狙いたい」と、“二刀流”への強い思いも語ってくれました。 -
応援してくれる人の存在が、自身をより強くする
- 練習でできないことは、試合ではできない。どんなスポーツでもそう考えることがほとんどですが、伊藤選手の発想は違います。
「僕は正反対で、試合じゃないとできないことがあるんです。練習で技術を固めて、雰囲気が独特でテンションが上がる試合の中でこそ、初めて力が発揮できると思います」
応援してくれる人の存在。それこそが、試合で力を与えてくれるのだといいます。
「跳躍競技は、観客席に一番近いところで行なわれることが多くて、その目立つ場所で跳ぶことが好きですね。応援は、ものすごく力になると感じています。応援してくださる方が多いほど、僕は頑張れると思います。このプログラムのような形で援助をしてもらえたら、世界選手権などの大舞台に出て、さらに多くの人に見てもらえます。そういうことを達成させていただきたいと思っています」
(取材・制作:4years.)