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“伸びしろしかない!” 高校生ゴルファーとして頂点をめざす
- 梶谷駿選手(岡山県出身)は、ツアープロを目標にゴルフに励んでいる15歳の高校生です。小学生で世界ジュニアに出場し、21年には全国中学校選手権準優勝など、確かな実績を残してきました。この春には地元の関西高校に入学し、高校選手権での日本一をめざして、ひたすらゴルフと向き合う毎日を送っています。
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2歳でクラブを握り、気がついたらコースを回っていた
- 「ゴルフを始めた頃の記憶はないですね」と梶谷選手は話します。初めておもちゃのクラブを握ったのが2歳の頃で、気づけばショートコースを回っていたのですから、それも当然なのかもしれません。小学校低学年の頃から、練習に行けば1日に300球は打つ生活を続けていたといいます。
父・教義(たかよし)さんが愛好するゴルフに家族で親しんでいたそうですが、「お父さんはたまに教えてくれたんですけど、我流ですね」と話すように、幼い梶谷選手は自分なりにゴルフを楽しんできたそうです。
教義さんが指導に力を傾けたのは、梶谷選手の4歳年上の姉・翼選手でした。翼選手は小学生の頃から数々のタイトルを獲得し、ナショナルチームのメンバーでもありました。父親がかかりっきりになる姿を見ながらも、梶谷選手は「寂しいと言えば寂しかったんですけど、僕は放っておかれているというか、一人でのびのびやっている、という感じでした」と家族で練習場に通い続けました。 -
- ▲小学校低学年の頃から1日に300球打ち込んでいました。今でもそれは続いています
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初めてコーチに習い、スイングそのものを変えることに
- 梶谷選手はこの春、高校1年生になりました。姉の翼選手と同様に、県外の高校に進学することも考えたそうですが、「成長していく姿をこれからも地元の皆さんに見てもらいたい」と思い、実家から通える場所にあるスポーツ強豪校、関西高校を選択しました。
ただ、中学最後の1年間、梶谷選手は原因不明のけがと戦っていました。「春の全国大会の最中に、ボールを打った後歩こうとしたらいきなり動けなくなり、即棄権となりました」。その後なんとか回復したものの、調子が上がってこない。「このままじゃいけないと思い、少し根を詰めて取り組んだら、今度は背中を痛めてしまった」そうです。結局痛みは秋口まで続き、自身としては調子の上がらないまま1年が過ぎてしまいました。
なお戦績としては、中国地方の中学生大会ではほぼ上位に食い込んでおり、決して悪い結果ではありません。しかし、全国レベルの試合には出られず、自身のゴルフに納得できない日々が続いていたのでしょう。梶谷選手はその後、「初めてコーチ(レッスンプロ)に習ってみた」そうです。
「そうしたら、それまでやってきたことの正反対みたいなことを教えてもらいました。でもそのほうが自分としても正しいと思ったので、自分の今後のためにも、いま全てを変えようとしています」
具体的には、どんな点を直そうとしているのでしょうか。
「(ボールが)真っすぐ飛ぶようにする、遠くに飛ぶようにする、の両方ができるように、スイングを直そうとしています」
高校入学後はけがや痛みは治ったものの、梶谷選手は現状の自身の状態をこう表現します。「良くもなく悪くもなく。やりたいことができていないんで、伸びしろしかないとは思います」 -
- ▲小学生で世界ジュニア出場。再び世界の舞台へ、という気持ちはもちろんあります
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地元の方々に支えられて今の自分がある
- 看護師として働く父親の教義さんは、ここ数年はコロナ禍のなかで仕事が忙しく、さらには母親が姉の翼選手のサポートをするために兵庫県で暮らしていたので、梶谷選手が自炊をすることもあったそうです。
そんな難しい時期を救ってくれたのが、地元の人たちでした。「今でもすごくお世話になっています。お父さんはいつでも休めるわけではないので、僕が一人の時には、地元のゴルフをやっている方に練習場に連れていってもらうことが何度もありました。お父さんの帰りが遅くなる時には、地元の方と一緒にご飯を食べることもありました」
この明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」は、市役所からの紹介で知ったそうです。地元でも有名なゴルフ一家に届けられた一報に、梶谷選手は応募を決めました。
「教えていただいて、とてもいいものだなと思いました。地元の方々に支えられて今の自分がありますし、そんな思いに少しでも応えられたらという気持ちがあります。また、岡山県の練習場の料金は安いのですが、それでも毎日となると……。兵庫県や関東の試合に行けば、相当なお金がかかると分かっています。少しでも、お父さんとお母さんの負担を減らしたいと思いました」
集まった支援金はこれまでと同様に、遠征費やコーチ代、ラウンド代などに充てたいと考えています。ちなみに梶谷選手によると、地元・岡山県総社市は「県の中心部と比べると田んぼがいっぱいあります。でも田舎すぎるわけでもなくて、ちょうどいい感じです。田んぼもあって山もあって川もあってとても過ごしやすいところです」とのこと。「地元あっての自分」と考える梶谷選手。22年に悔しい思いが続いた分も含め、少しでも地元に恩返しができるよう、自身のスキルアップに貪欲に取り組んでいます。
なお、姉の翼選手は高校卒業後米国の大学への留学が決まっており、現在は両親もともに実家に帰ってきているとのこと。梶谷選手も安心してゴルフに打ち込めることでしょう。 -
高校年代でしっかり結果を残したい
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- ▲梶谷選手の理想は、「プロになってみんなに好かれる選手になること」です
さて、高校生になった梶谷選手が23年シーズンの目標に掲げるのが、夏の高校選手権で「めざすは優勝ですが、少なくとも5位以内」に入ること。1年生での5位以内ですから、決して簡単な目標ではありません。そして、「高校生のうちに、高校選手権と日本ジュニアの両方を勝ちとりたいですね」とも。ただそれには「今のままではダメなので、これからとれるように頑張っていくしかない」と考えています。
将来の目標は、もちろんツアープロになることです。「小学1、2年生ぐらいからプロになりたいと言っていたので、それは変わらないですね。高校を卒業したらプロになるかどうかは決まっていませんが、できればなりたい。そのレベルにいけるかどうかはまだ分かりません」
梶谷選手は、プロの厳しさも十分承知しているだけに、まずは高校年代でしっかり結果を残すことが大切であると考えています。
そして梶谷選手が理想としているのは、「プロになって、みんなに好かれる選手になること」。「ゴルフは見てもらってなんぼ、というスポーツ。人に好かれない限りは何も始まらないし、その上で試合に勝ちたいと思っています。そうすることが、応援してくださる方々への恩返しになるんじゃないかなと考えています」
周囲の支えと地元のありがたさを、身をもって知っている梶谷選手。感謝を胸に、自分らしく夢に近づいていこうとしています。
(取材・制作:4years.)