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幼なじみはライバル 一歩先進む背中を励みに
- 2022年11月、女子ボクシングのアジア選手権で優勝した木下鈴花選手は、中東・ヨルダンで首に掛けられた金メダルを思い返すと、いまでも自然と頬(ほお)がゆるみます。「日本人の女子選手では史上初で、喜びは大きかったです。(入江)聖奈が手にしたことがないアジアのメダルでしたし…」。大きな夢を懐に抱く木下選手。どんなに苦しくて挫折しかかっても、あきらめずに続けているのは、同じ夢を先にかなえた幼なじみに追いつきたいという強い思いがあるからです。
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空手かボクシングか 意地の張り合いも
- 2021年夏。世界最高峰の舞台にて日本女子ボクシングで初の優勝を果たし、時の人となった入江聖奈さんとは0歳児のときからの幼なじみ。ともに鳥取県米子市で育ち、ボクシングの道に進むきっかけをつくってくれたのも、気心が知れた入江さんでした。
「小学校4年生のころ聖奈のお母さんに誘われたんです。『空手をしているなら、ボクシングもできるんじゃない』って」。ジムに足を運んでみたものの、すぐには興味を持てませんでした。幼いころから空手道場に通っていた木下選手が「空手のほうが強い」と言えば、入江さんは「ボクシングのほうが強い」という具合に意地の張り合いになることも。堂々巡りは数年続いたものの、あるとき、木下選手は自分の気持ちがリングに向いていることに気づきました。「(同じ土俵に立って)聖奈に勝ちたい」
実際にグローブをつけ、ジムワークを始めたのは中学校2年生のとき。足技は使えず、パンチだけで戦う格闘技は空手とは勝手が違いました。スパーリング(実戦形式の練習)では入江さんに何度も打ち負かされ、そのたびに「もっとうまくなりたい、もっと強くなりたい」と思いました。 -
- ▲ボクシングを始めて間もない中学生のころの木下鈴花選手
- 木下選手は根っからの負けず嫌い。「負けたくない」という思いを原動力に、一歩先を行くライバルからは常に刺激をもらい、切磋琢磨してきました。米子南高校、日本体育大学で技を磨き、2人で大きな目標を共有しながら、国内外の主要大会で好成績を収めてきました。
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東京暮らしで実感した故郷・鳥取の魅力
- 地元アスリート応援プログラムを勧めてくれたのも入江さん。ひと足早く支援アスリートに選ばれた入江さんに紹介され、関心を持ちました。高校時代に応募したときは落選し、2022年に再チャレンジ。全国大会、国際大会での実績が認められ、採用が決まりました。
明治安田生命のプログラムを通じて積極的に情報を発信し、「アマチュア女子ボクシングをもっと盛り上げたい」と力強く話す木下選手。地元を活性化するという趣旨に共感し、ボクシングを通して、生まれ育った鳥取県米子市にも恩返しをしていくつもりだと言います。
高校時代まで過ごした地元の米子には、特別な思い入れがあります。育ち盛りのころ食べたメニューはすぐに頭に浮かびます。給食で出てきた鳥取の郷土料理「ののこめし」、ボクシングの練習帰りに米子駅近くで食べた「とんきん」のチキンカレーの味は忘れられません。東京暮らしを始めて感じるのは、米子の風景の美しさ。大山(だいせん)で眺める星空や、飽きずに見ていられる日本海は、いつ見ても心が落ち着きます。 -
- ▲地元の米子でボクシング仲間とミットをする木下鈴花選手(右)
- まだ実績を残せていなかったころから応援してくれた米子の人たちの優しさは、ボクシングを続ける支えです。胸に刻んでいるのは2017年12月、米子産業体育館で開催された全日本女子選手権。スタンドには「燃えろ、鳥取」の横断幕が掲げられ、熱い声援を送られました。木下選手はジュニアの部のフライ級で出場し、高校2年生で入江さん(米子西高校/フェザー級)とともに、自分にとっては初めての全国制覇を達成しました。リングサイドにいた母親が涙を流して喜んでくれた姿は、何年経っても脳裏に焼き付いています。
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挫折、そして絶望の淵から救ってくれた盟友の快挙
- 2019年に米子南高校を卒業後、中学生のときから追い求めてきた夢の舞台に立つため、入江さんと一緒に日本体育大学に進学しました。
ところが、木下選手は1年生の時から絶望の淵に突き落とされました。東京で開催される4年に1度の世界大会への出場権をつかめたのは、入江さんだけ。先がまったく見えなくなってモチベーションは低下し、引退も頭によぎりました。コロナ禍の影響で大会は次から次に中止となり 、2021年3月には椎間板(ついかんばん)ヘルニアを発症してしまいました。
悪いことが次々と重なり、「あの時期はすごく苦しかった」。木下選手はいま思い出しても険しい表情になります。
それから5カ月後のこと。再び立ち上がれたのは、盟友の「快挙」を目の当たりにしたからでした。自分が立てなかったリングで入江さんは快進撃を続け、金メダルを手にしました。その姿を見ると、木下選手も心が震えました。「一緒に頑張ってきたので、自分のことのようにうれしかった。有言実行する聖奈は本当に格好良かった」
勇気をもらった木下選手は、この年の11月に全日本選手権で準優勝を果たして復活を遂げ、再びトップ戦線に戻ってきました。2022年5月には世界選手権に初出場。結果は2回戦敗退でしたが、もっと頑張れば、上に行けるかもしれないと自分に可能性を感じました。「このままでは終わりたくない」。大学を卒業したら引退する予定でしたが、続ける決断をしました。 -
目指すべき場所は? 金メダルへの憧れを再び胸に
- 2023年、木下選手は新たなスタートを切りました。3月には2度目となる世界選手権に臨み、銅メダルを獲得。表彰台では満足せず、準決勝で敗れた敗因を分析していました。最近は、苦手とする長身サウスポーの選手にも積極的に攻め込んでいくための練習に励んでいます。一度はくじけそうになりましたが、目指すべき場所は変わりません。2024年の世界最高峰の大会での頂点です。
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- ▲2023年世界選手権でイタリアの選手と戦う木下鈴花選手(中央、国際ボクシング協会提供)
- 「金色のメダルが欲しい。聖奈からも『応援している』と言われましたので」。まずは9月に開幕するアジア競技大会でベスト4以上の成績を残し、確実にパリ行きの切符をつかむことを心に誓っています。
社会人として働きながら女子アマチュアボクシングを続けるのは、決して簡単なことではありません。木下選手は競技生活を支えてくれる周囲の人たちに感謝しながら、日々努力を重ねています。
「支援していただいた資金は遠征費用、ボクシング用品に充てたいです。大会で結果を残し、少しでも地元に貢献して、みなさんの喜ぶ顔が見られるように頑張ります」
あきらめない22歳の再挑戦は、すでに始まっています。
(取材・制作:4years.)
※ヘッダー画像 国際ボクシング協会提供 - ================
2024年2月29日をもちましてクラウドファンディングを終了いたしました。
ご支援をいただきまして、本当にありがとうございました!
■支援者一覧(順不同、敬称略)
ムカイ、田中智規、(株)ホームズ・アット・ソーラー、川口アキラ、牧井一夫、北海道から応援、NOZOMIBIGBOY 、友定 義晴、masa.KIJIMA、カーファクトリー グラム