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世界の強豪と渡り合い「あこがれられる選手に」 海外遠征で体も技術も心も鍛える
- 大きな帆を張ったヨットで海上に設置されたブイを回り、順位を競うセーリング。三浦帆香選手は、中学生にして高校生まで出場できる大会で入賞するなど早くから頭角を現し、国内外の試合で活躍してきました。めざすのは競技の成績だけでなく、人柄の面でも周囲からあこがれられる選手です。艇の位置取りが勝負となるレースでは、体力や技術に加え、自己主張の激しい外国人選手と「No room!!(入ってくるな!!)」などとやり合う必要もあり、自身の体と心を鍛え上げる毎日だといいます。
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自分に合った艇に乗り換えたことで、ヨットの楽しさを思い出せた
- まるでセーリング選手になることを運命づけるような名前の三浦帆香選手。帆が香るというステキな名前を付けるとは、ご両親も海がお好きなのでは? と伺うと、やはり、父親がヨット部出身とのこと。「幼稚園のとき、父にクルーザーに乗せてもらったことが楽しくて、自分も海に出たいと思うようになりました」と満面の笑みでエピソードを語ってくれました。
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- ▲風を読み全身で艇をコントロール。自然と一体になれるのも競技の魅力
さらに、地元木更津から車で30分程の千葉県富津市に住む祖父母の家の前の海で父親が所有する小型ヨットに乗った際には、「もっと自分で自由自在に乗りこなしたい」という思いが強くなりました。
しかし、遊びとして楽しんでいた時期を経て、小学3年生で競技として本格的に取り組むようになると、艇が思い通りに進まず大会にも勝てないことから、ヨットに対する「好き」の気持ちが薄れてしまっていたという三浦選手。「小さい頃から同級生の中では体が大きく、小学生の時に乗っていた艇の規格では体重が重すぎて思い通りにヨットが進まず、全然結果を残せずにいたんです」
しかし、中学に入って体の大きさに合ったヨットに乗り換えたところ、初めて大会で好位置を走ることができてヨットの楽しさを思い出すことができ、「これまで努力してきたことは間違いじゃなかったんだ」と確信を持てたといいます。 -
世界で活躍する選手になるためには、性格も強くならなければならない
- 以降、実績を積み続けた三浦選手。中学3年生のときには、高校3年生までが出場可能な部門において入賞を果たし、世界選手権の代表に選抜されます。海外で活躍するトップ選手を間近に見たことで、モチベーションが高まったといいます。
「海外の選手は性格的にも気が強い人が多く、マーク(ブイ)を回る際には自己主張の強い海外選手がルール的には入れない場合でも入ろうとしてくるし、逆にこちらに権利があって入り込もうとしていても大声で牽制してきます。ですので、私もそれに負けないように、『No Room!!(入ってくるな!!)』、『Room!(私の場所だ!)』などと激しく主張する必要があり、大会に出るたびに精神的にも強くなっている気がします」 -
- ▲レース中は進路を巡り他の選手と激しくやり合うことも
三浦選手の強みは、どんなときも最善を尽くし続けることができる集中力です。下位を走っていたり、風が吹いていなかったりすると半ばあきらめてしまう選手も多い中、「絶対にあきらめず、今できることをやり続けます。だからみんながあきらめる無風に近い状態で上位になることが多いです」。2022年には日本レーザークラス協会主催のILCA6 All Japan Championshipsで総合6位と健闘しました。
しかし、国際大会では何十もの艇が一斉に走り、激しいポジション争いが繰り広げられます。競技人口が限られる国内では多数の艇の中でレベルの高い争いをできるレースが少なく、海外に遠征して艇数が多いレースで経験を積むことが必須と実感し、地元アスリート応援プログラムへの参加を決意したといいます。
募集を知ったきっかけは、セーリング界の先輩が同プログラムに参加していたことでした。インターネットでプログラムの趣旨や参加資格などを調べたところ、「生まれ育った木更津が大好きなので、クラウドファンディングに参加しながら地域貢献できることは魅力的でした」と参加を決断。自分自身でクラウドファンディングをすることにも興味はあったものの、何を準備すればいいのかなどわからないことも多かったことから、明治安田生命にサポートしてもらえることにも魅力を感じたといいます。 -
けがで艇に乗れなかった時期には、精神が崩壊寸前になった
- 「木更津は海も山もあって自然豊かだけれども、東京や横浜への交通の便もよく、商業施設もさまざまにそろっているところが魅力です。海では潮干狩りを楽しむこともできますし、商業施設に関しては、特に関東圏の人はご存じかと思いますが、日本で一番たくさんの店舗が入っているアウトレットがあり一日たっぷり買い物を楽しむこともできます」。三浦選手自身、今でも帰省の際にアウトレットで買い物を楽しんでいるといい、「施設内の訪ねるお店が決まっている場合は、閉店直前のすいている時間がおすすめですよ」とのアドバイスも。
大学生になった今は、空き時間があれば比較的自由に地元に戻ることができますが、セーリングのために茨城県にある霞ケ浦高校に進学して寮生活を送っていた時代は、気持ちが沈むと、家族への電話で弱音をこぼすこともしばしばだったという三浦選手。特に、高校1年生のころにあった茨城国体の直前や、コロナ、足の捻挫でしばらく競技を離れなければならなかった期間は、「精神的に不安定になって崩壊寸前だった」と振り返ります。
「泣きながら電話したこともありましたが、家族の励ましでなんとか気持ちを保つことができました。その結果、茨城国体で優勝することが出来たんだと思います。また捻挫をしたときは足を使えないぶん上半身のトレーニングに時間を費やし、ゴムボートでみんなの練習を見学しながら回復を待ちました」 -
目の前の目標を着実にクリアして「あこがれられる選手に」
- これまでの競技人生においては、家族以外にも本当にたくさんの人に支えられてきたと話す三浦選手。「中学生のとき、千葉県代表として出場した国民体育大会で準優勝したときに泣いて喜んでくれた担任の先生は今でも全力で応援してくれているし、地元で同じクラブだった友人とは今でも強い絆で結ばれています」。
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- ▲成績だけでなく「あこがれられる選手になりたい」と将来を描く三浦選手
三浦選手は、日本代表として世界の舞台で活躍する、ある先輩選手にあこがれています。「中学時代、日本代表が集まる合宿に参加した際に『帆香ちゃん、こっちおいで』とやさしく声を掛けて緊張をほぐしてくれたことで、『成績を出すだけじゃなく、人柄も完璧な選手になりたい』との目標ができました」といいます。「彼女は私にとって本物のヒーローです。私も後に続きたいです」。
まずは23年10月に開催のU21世界選手権で入賞することを目標として掲げている三浦選手。「以前と比べると前のほうを走れる確率が上がっているので、今まで以上に果敢に攻めて前方をキープすることで必ず結果を出したいです。後輩の選手たちから『カッコイイ』とあこがれてもらえるようになり、セーリング界に貢献したい。私の活躍を通して木更津のことをもっともっとたくさんの人に知ってもらうためにも、一つひとつの目標を着実にクリアしていきたいです」
(取材・制作:4years.) - ================
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