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“モーグルの聖地”で磨いた技術でめざすは世界の頂点!
- 2021年の全日本選手権で3位、22年の同大会で準優勝と国内トップ選手としての歩みを進めてきた、モーグルの西沢岳人(福島県出身)選手は、22/23シーズンの主な大会では「13戦8勝」と覚醒。22年春に早稲田大学を卒業し、地元・福島のホテルリステル猪苗代に就職したことで、理想の練習環境で技術を磨き、26年の4年に1度の世界大会出場に向けて準備を進めています。
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父の影響から2歳でスキー、6歳でモーグルをはじめた
- 西沢選手がモーグルに出合ったのは6歳の時、日本体育大学の基礎スキー部だった父親・優(まさる)さんの影響で2歳の時にスキーをはじめ、その後モーグルをはじめました。
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- ▲「タケちゃん」の愛称でスキーヤーに可愛がられていた幼少時代
「スキー場にはスキーが上手なお兄さんがいてくれて、みんな僕を『タケちゃん』と呼んで可愛がってくれました。そのお兄さんたちと一緒にコブを滑ったり、小さなジャンプ台でちょっと飛んだりするくらいのことなんですけれど、すごい楽しくて。そこから毎日、母におにぎりを作ってもらって滑りに行くようになりました」
そのお兄さんの一人が、現在の日本代表の遠藤尚コーチでした。遠藤コーチの指導もあり、西沢少年は徐々にコブを滑るスピードが速くなり、エアも高さが増していきます。
自身の成長について、西沢選手は「まだまだ足りないところ、弱いところがたくさんある」と話しますが、「誰にも負けないのはスキーやモーグルが好きという気持ち。モーグルが嫌いになったことは一度もありません」と言い切ります。腰椎(ようつい)の一部を損傷するようなけがに遭った時もありましたが、初雪が降るあたりから「毎年、ああ、やっと冬が来るってワクワクするんです」と笑顔を見せます。 -
大学卒業後は地元に戻り、課題を一つひとつ克服
- 西沢選手は21/22シーズン、スイス・ツェルマットやスウェーデン・イドレでの欧州合宿を敢行しました。新型コロナウイルス感染症の影響での隔離や感染リスクなどを考えると、一時帰国をせずに欧州に滞在したまま強化を重ねる選択肢が現実的です。するとどうしても遠征は長期化し滞在費が膨らんでしまいます。
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知ったきっかけについて、西沢選手は「人とのつながりを感じた」と語ります。父・優さんの高校の同級生、母・佐知子さんの友人が、この制度をすすめてくれて応募を決めました。早稲田大学に通うため故郷を離れた4年間は地元の良さや自然の美しさを改めて感じる期間でもあり、「いつか地元に還元できるといいな」という漠然とした思いが輪郭を持った時でもありました。集まった資金は主に渡航費、滞在費に充てる予定です。
そして、大学では東京を拠点にトレーニングを積み、全日本選手権では2年連続で3位以内と実績を上げ、22年の卒業後は地元・福島のホテルリステル猪苗代に就職。スキー場に所属し仕事をしながら練習も精力的に行ない、夏場はウォータージャンプを連日行なうなど理想的な練習環境で着実に課題を克服しながら実力を高めています。 -
- ▲充実した練習環境でジャンプの精度が上がったのも好調の要因
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好調だったシーズン、要因は練習環境の充実
- 22/23シーズンの西沢選手は、23年1月のばんけいモーグル競技会、2月のフリースタイルスキー秋田、北海道スキー選手権などで優勝を飾りました。その好調の要因を西沢選手はこう振り返ります。
「練習環境が良くなったのが一番。大学も練習環境は良かったけど、僕たちは夏にウォータージャンプというジャンプの練習をするんですけど、東京では場所がなかった。戻ってきて、休みの日以外はウォータージャンプが毎日飛べて、精度も高くなった。ジャンプにかける練習の量が増えたことは良かった」 -
人口3000人に満たない北塩原村を起点に
- 磐梯山の北側に位置する北塩原村は、清流と緑の山林に囲まれた自然豊かなロケーションですが、人口は3000人に満たない自治体です。だからこそ「村民同士の絆が強い」と西沢選手は誇っています。
「小さな村なんですが、僕の競技のことまで気にかけてくれて温かいなと感じています。大会で結果が出るとテレビに出たり新聞に載ったりするので、その時にみなさんが『頑張ったね』と声をかけてくれます。その応援は本当に力になります」
福島県民の一人として、11年の東日本大震災で今もまだ日常を取り戻せていない人たちに競技を通して何か伝えることができれば、と願っています。「福島には、被災して今でも避難を余儀なくされている方々がいらっしゃいます。その方々に少しでも勇気を届ける滑りができたらと思っています」
地元の方や福島の人々に、より大きな勇気が与えられる26年開催の世界最高峰の大会は西沢選手にとっても大きな目標となっています。
「金メダルとか言える立場じゃないんですけど、頑張ってみたくて。まだ全然自分の今の立場はそんなに上じゃないんですけど、技術的には、自信はついてきたシーズンだった。ワールドカップに出ていた選手にも勝つことができた。2026年の国際大会はまずは出ることを一番に考えて、出ることが決まったら、その金メダルのことを考えたい」と、西沢選手は謙遜しながら目標を語ってくれました。
福島に戻って、ますます進化を続けている西沢選手の活躍に地元の人々は注目しています。次はどのようなニュースで村を元気にしてくれるのか、充実した日々を過ごす西沢選手の表情を見ていると、今度はどんないい報告ができるのかを自身も楽しみにしているようにも見えてきます。
(取材・制作:4years.) - ================
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