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目標は世界王者だけじゃない 人類未登の崖に挑み続ける笑顔の冒険者
- 壁に設置されたわずかな突起に指や足をかけて全体重を支え、ゴールをめざすスポーツクライミングの野部七海選手は、155センチと小柄ながら手足をうまく連動させ全身の力をフルに発揮するスタイルが持ち味です。現在ワールドカップで上位入賞している選手たちと互角に戦ってきた実力は誰もが認めるところですが、2022年は新型コロナ感染、23年は足首のけがで代表選考会に出場できない不運に見舞われました。失意のどん底―― と思いきや、「自分を強くするチャンスだと思っています」と満面の笑み。底抜けの明るさと前向きさで競技の枠を超え自然の岩場にも挑む野部選手は、人類が誰も登ったことがない岩場に初めて登り、そのルートに名前を付ける「開拓者」の役割を18歳にして3度も経験しました。その姿は競技者であると同時に、冒険者でもあります。
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大好きだった木登りより、もっと熱中できるものを見付けた
- 体を動かすことが大好きで、小さいころからさまざまなスポーツにチャレンジしてきた野部七海選手。しかし、どれも1年もしないうちに飽きてしまったといいます。ところが、小学4年生で出合ったスポーツクライミングだけは違いました。「こんなにおもしろいスポーツがあるのか! とドはまりして何時間でも登り続けました」
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- ▲小学生で競技を始め、「ドはまりした」ころの野部選手
きっかけは、まだあまり知られていなかった競技を紹介する新聞記事でした。「もともと木登りが大好きで小学生のころもよく登っていたので、すぐに興味を持ちました」と笑顔を見せます。家族もそれをサポートし、「付き添いの母親も私がいきいきと登る様子を見ているのが楽しいと、毎回練習に付き合って何時間も見守ってくれました」。
競技の魅力について「難しい壁を登り切った時の達成感は、他の何ものにも代えがたいです。難しければ難しいほど『攻略したい』という気持ちが強くなりますし、何日もかけて登ったときの達成感は相当なものです」と明かします。
失敗を繰り返し、自分に足りない技術や筋肉を鍛えてまた同じ壁に挑む毎日。時には完登に1カ月近く要することもあるといい、「登り切って1カ月前の自分を振り返ったとき、大きな成長を実感できるし、大会で結果が出るとさらにうれしいです」と顔をほころばせます。 -
- ▲初めて海外での試合に臨んだときの野部選手
初めて出場した大会でいきなり決勝まで進んだかつての木登り少女はやがて、ボルダリングユース日本選手権で優勝するほどの実力者に。ただ野部選手は室内に設置された人工の壁だけでは飽き足らず、自然の岩場のクライミングにも熱を入れています。「私、試合で誰かに勝ちたいというよりも、どんな壁でも『絶対登りたい』と思っちゃうタイプなんです」。だから将来の目標は、ワールドカップの年間総合優勝と、「自然の岩場で、これまで女性が誰も登ったことのないルートを完登すること」だといいます。 -
けがで出場チャンスを逃したことを悔やむより、その先にあるものを見据えていたかった
- 野部選手が明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」のことを知ったのは、以前からよく利用し、店ぐるみで活動を支援してくれている地元・熊谷市の飲食店グループ「はっかい」のスタッフがきっかけでした。「クライミング仲間に紹介してもらって以降、よく食事に行くようになりました。スポンサーとしてサポートしてくれるだけでなく、大会後の慰労会やけがからの快気祝いを開いてくれるなど、本当にお世話になっています」
そのスタッフは、スポーツ施設の代表をしている知人の一人から「明治安田生命がアスリートの支援をしている」と耳にし、たまたま別の知人が明治安田生命に勤めていたことから、プログラムについて詳しく聞くことができたそうです。野部選手がプログラムのサイトを見て驚いたのは、様々なスポーツの選手が支援を受けていることでした。「大きな企業は人気のあるスポーツしか支援しないのではという思い込みがあったのですが、マイナーなスポーツもサポートしてくれていることを知ってとても魅力的なプログラムだとうれしく思いました」
現在、けがからの復帰をめざしている野部選手。「クライミングをより多くの方々に知っていただくためにも、地元アスリート応援プログラムに参加して、私にしかできないことを発信したい。地元のみなさんにけがからはい上がる姿を見せて、勇気を与えられたらうれしいです」 -
失意の2年連続選考会欠場 地元の応援思い切り替えられた
- どこまでも前向きな野部選手の魅力に引きつけられているのは、お店のスタッフたちだけではありません。普段から通学路で「がんばってね」と声をかけられることも多く、その都度笑顔で挨拶しているそうです。
「熊谷の人はみんな本当にあたたかい人ばかり。インスタグラムのDMで、“応援しています”とメッセージを送ってくださる方も多く、本当にたくさんの方に支えられていることを日々実感しています」。夏の暑さで有名な熊谷は、アスリートへの思いも「熱い」街のようです。
23年1月に着地に失敗して、その月末に開催のワールドカップ選考会に出場できなくなったときに励ましてくれたのも地元の人たち。「去年は大会直前にコロナにかかって出場できなかったので、さすがに2年連続となるとショックでしたけど、応援してくれる人がたくさんいることを思うと気持ちを切り替えられました。生涯クライミングを楽しむためにも、まずは完治させて次のチャンスに向けて練習を続けます」。
自身が出場できなかったワールドカップで入賞している日本代表の面々を見ると、他の大会で互角に戦ってきた選手ばかり。悔しい思いは人一倍だったに違いありませんが、「結果を出している選手を見ると、おめでとうと思う気持ちしかありません」とここでも満面の笑みを見せてくれました。 -
前人未登のルートを開拓するっておもしろい!
- おおらかな気持ちをキープできるのは、大会入賞だけを目標とせず、自然の岩場を登るロッククライミングを通して唯一無二の人生を切り拓き続けていることも理由かもしれません。「地元に近い秩父や二子山、三峰をはじめ、静岡、長野など全国の岩場を登っています。落ちたらどんな危険があるかわからないけど、その緊張感がたまらない。登るほどすごい景色が見られるのも感動的です」
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- ▲野部選手は室内だけでなく自然の岩場にも挑む
あるとき、野部選手を知る人から「秩父で新しいルートの開拓をしてみないか?」との誘いがありました。「開拓」とは、誰も登ったことがない魅力的な岩場を初めて登り、ルートを切り開くこと。開拓者には、そのルートに名前を付ける栄誉が与えられます。高い技術と精神力が求められ、野部選手の世代で開拓分野に足を踏み入れる人は日本にはまずいません。でも以前から前人未到の岩場を前に目を輝かせていた野部選手はがぜんやる気が湧いたといい、これまでに3本のルートを開拓しました。
「1本目は『海』と名付けました。自分の名前の一文字でもありますが、秩父が1700万年前まで海だったことにちなみました。2本目は、私が初めてユースで世界進出したタイミングだったから『要』、3本目は、石灰岩に生えた苔をかぶって頭から白くなったことにちなんで『粉雪』と名付けました」と、ネーミングの発想も唯一無二です。
「私が競技を始めたころと比べると市民権を得てきましたが、まだまだクライミングのおもしろさを知らない人は多いと思います。そもそも私自身、開拓者という人たちがいることを知らなかったので、自分自身も新しいことを学びながら、たくさんの人にクライミングの魅力を発信していきたいです」
(取材・制作:4years.)
※ヘッダー、プロフィール写真 @maechan82kgclimber - ================
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