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2度の試練を乗り越えさらに成長! 岩手出身のアスリートが活躍するなか国際大会のメダル獲得で名を残したい
- 岩手県盛岡市出身の佐々木虎選手は、モーグルの日本代表入り目前で迎えた22年3月の全日本選手権で果敢に攻めた結果、公式練習で転倒し大けがに見舞われました。しかし、懸命なリハビリを経て、23年3月の全日本選手権で奇跡の復帰。空白の1年間を埋めるべく一から体をつくり、再びの代表入りをめざします。
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小学生でモーグルに出合い、高校では1人で練習した時期も
- 佐々木選手がモーグルに出合ったのは小学4年生の時。3歳から始めたスキーを競技としてやりたいと思っていたところ、偶然テレビでモーグルの世界的な大会を見たのがきっかけとなりました。「重いスキー用具を身につけて高く飛ぶ、そのことに衝撃を受けました」と当時を振り返ります。正統派であるアルペンスキーに対して、フリースタイルのモーグルは表現力が問われるところにも強くひかれたそうです。
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- ▲7歳の頃の佐々木選手(中央)。兄弟3人でスキーを楽しんでいました
しかし、地元にモーグルを教えてくれるスクールは存在せず、長野から来ていた出張レッスンで基礎を学びました。また、中学ではスキーのオフシーズンは体力づくりのために柔道部と駅伝部に所属。そこでも運動神経に恵まれた佐々木選手は、柔道の盛岡市大会で優勝。駅伝でも注目されていました。
盛岡第四高校入学時は、モーグルがインターハイ種目になかったこともあり、続けるか迷いましたが、モーグルなら日本人でも世界一になれると強い気持ちでモーグルを続行。学校ではモーグルの指導者がいない中、強い気持ちで1人だけの練習に打ち込み、3年時の全日本選手権では9位に入りました。 -
大学では本格始動するも大きなアクシデントに見舞われる
- のちに22年の国際大会に日本代表で出場した同学年の堀島行真選手(現トヨタ自動車スキー部)が中京大学を志望していると聞き、同大学に進学。「同世代のチャンピオンで、世界ランクも上位の堀島選手の滑りを間近に見ながら練習できる環境なら、パフォーマンスの向上につながると考えました」と話します。
大学では順調に練習を続けていた佐々木選手ですが、2年生の12月に試合直前の合宿で右膝前十字靱帯断裂と半月板損傷の大けがに見舞われます。「ジャンプを飛び過ぎて、着地エリアを飛び越えてしまったのが原因です」とその時の状況を語ります。
復帰するまでには1年かかりましたが、モーグルができなかったその期間が、前に進むための貴重な時間になりました。「自分の取り組みを見つめ直すことができました。もしけがをしていなかったら、大学をやめていたかもしれません」と振り返ります。さらに、トレーナーの献身的な支えもあり、けがをする前よりパワーアップした佐々木選手は、復帰直後の東海北陸フリースタイル選手権で優勝を飾りました。 -
社会人で活躍、日本代表入り目前だったが
- 大学4年時は北海道スキー選手権でも優勝。大学卒業後は社会人アスリートとして活動を続け、21年11月に行なわれた国際大会でも優勝し、目標であるナショナルチームのA指定選手に近づきましたが、4年に1度の国際大会出場はかないませんでしたが、「僕としてはギリギリのところまで詰めることができて、本当に行けるかもしれないという状況で準備していたので、かなり大きな優勝でした。(国際大会には)行けなかったけど、大きな自信になりました」。
そして代表入りをかけた大一番、22年3月に行なわれた全日本選手権は限界ギリギリの滑りで挑みましたが公式練習で転倒。「一番を狙おうという気持ちが強かったので、技の難度も上げて、それなりに攻めた構成で準備した。攻める以外なかった。やらなきゃ勝てない試合だったので、やらないという選択肢もないし、けがをしても仕方がないという感じでした」と振り返ります。
前十字靱帯断裂に加え、本来普通のスポーツでは起こらない膝蓋腱の断裂。当初は復帰まで2年半かかると見られたほどの大けがでした。しかし、ちょうど1年後の全日本選手権で奇跡の復帰。18位と結果を残し、アジアカップでは決勝に進出し11位の成績を収めました。 -
- ▲「復帰できてホッとした」と佐々木選手
「年齢的に考えて、1年で何とか試合までは出たいという考えがありました。お医者さんは僕が無理だと思う時がくると思っていたみたいですが、イケイケ、押せ押せでリハビリしてきました。前十字靱帯のけがはよくありますが、腱も切れることはほとんどなく、1年で復帰するのは例がないようで、症例報告を準備しているみたいです」 -
元気な状態で結果を出して、いい報告ができるのがベスト
- ポテンシャルはまだ半分であるものの、シーズン最後の大会で復帰できたことでホッとしている佐々木選手。その復帰には本人の強い意志とともに、ユーチューブやSNSに寄せられるファンのメッセージも支えになりました。「いまけがをしている子供たちからのメッセージも多くて、『勇気が出る』とか、前十字靱帯のけがは多いんですけど、それよりも重いけがでも早く復帰した僕を見て『自分もいけるんだと思った』とか。けがは『治るよ』というのは教えたい。『そんなに悩むほどじゃないよ』ってね」
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- ▲自身も楽しみにしていた「Tigerカップ」も無事開催できた
22年4月、「公認大会以外で僕たちが出られるモーグルの大会はないですか」という地元の子供たちの声に応え、自身の原点でもある岩手の安比高原で「Tigerカップ」を開催。第1回は、けがで自分自身は参加できませんでしたが、第2回ではデモンストレーションも披露。前回より参加者も増え、大成功を収めました。
このような活動でも地元に貢献している佐々木選手。「盛岡市にはスキー場がないので、『Tigerカップ』も市外に出ますけど、僕ができることは結果を出すこと。元気な状態で結果を出して、地元でいい報告ができるというのがベスト。明治安田生命さんの『地元アスリート応援プログラム』も今回が3回目で(自分にとっては)最後になりますが、これがあって国際大会に出たよねと言われるようになりたい」と目標を語ります。
21年度に続き、22年度も支援金は目標の50万円を達成した佐々木選手。「前回はけがをして、成績に対しての応援という感覚ではなかったので申し訳なさ半分。夏でもまともに走れない状況で頑張りますと言うのも無責任だと思っていました。しかし、復帰が見えてきて試合にエントリーした段階で応援してくれる人が増えたのはうれしかった。これまで支援金の大半はリハビリに充てさせていただきましたが、今回はシーズン初めの11月ごろに海外合宿を検討しているので、そこに充てたいと考えています」
約1年間のリハビリで夏のオフトレーニングができなかったので、今後は、一から体をつくることからはじめる佐々木選手。地元盛岡市に隣接する雫石町のウォータージャンプ施設を中心に自主トレをやり込む予定。「けがを経て、一回りも二回りもどっしり構えて戦えるような経験ができた。結果を求める以上に大きな経験ができるようないい人生にしたい。最大の目標である国際大会に向けて、まずは代表復帰。日本の強化指定にしっかり入るのが今シーズンの目標です」と力強く語る佐々木選手。
近年、岩手出身のアスリートの活躍が目覚ましく、国際大会に出るだけでなく、メダルを取らないと恩返しにならないとも語る佐々木選手。国際大会で結果を残し、地元盛岡市を代表するアスリートとして名を残すことができるか。2度の試練を乗り越え、佐々木選手が再び世界に挑みます。
(取材・制作:4years.) - ================
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