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23年は勝負の年!“二刀流”から100m1本で国際大会出場をめざす
- 鈴木涼太選手(静岡県出身)は、21年に獲得した「学生日本一」の称号を手に、22年は実業団のスズキアスリートクラブのメンバーとして飛躍のシーズンをおくりました。そして、24年の世界最高峰の大会への出場をめざし、勝負の年となる23年はこれまでの100mと200mの“二刀流”から100m1本に絞ることを決断。地元・浜松の人にいい結果を報告したいという願いを実現するための準備に余念がありません。
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浜松の先生たちに伝えたい感謝の気持ち
- 静岡県浜松市出身の鈴木涼太選手は、陸上短距離の100m、200mを主とし、4×100mのリレー競技にも取り組み、数々の実績を積んでいるトップスプリンターです。2022年の春には城西大学を卒業し、4月から実業団のあるスズキに入社。世界の舞台をめざして日々、鍛錬を続けています。
鈴木選手と陸上の出合いは小学生の時。50m走で7秒を切る速さで走り、クラスで1番になったことから、中学では陸上部に入部。ただ、この頃は「県大会にギリギリいけるかどうかの選手だった」と振り返ります。その後、浜松工業高校に進学し、着実に実力をつけていった鈴木選手。高校3年時にはインターハイで100m、えひめ国体では100mのほか4×100mリレーにも出場して入賞。大きく成長できた要因には、静岡県の指導者の存在がありました。
静岡県では県内の成績上位者を集めた強化合宿などを行なっており、その際に学校の枠を超えて様々な先生方と関わる機会がありました。高校2年の頃には、あいさつや身だしなみなど、基礎的な部分から厳しく指摘されました。「半泣きになるぐらい、ものすごく怒られたんです」
そこから、「もっとちゃんとやらないと」としっかり自分のことを省みるようになりました。その結果、行動力もつくようになりました。「本当に感謝しかありません」と、地元の先生方への思いを改めていま口にします。 -
- ▲高校3年の時、静岡県西部の大会で1位になり、表彰台に上がる鈴木選手(中)
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家族や地元の先生からの激励で耐え抜いた2年間
- 高校卒業後はスポーツ推薦で城西大学に進学。陸上短距離に力を入れている大学でもあり、鈴木選手も大学で日本一になりたいと目標を持って競技に取り組みました。しかし大学1年の秋の大会と、冬のシーズンオフの期間の2回、右ハムストリングスの肉離れをおこしてしまいました。
陸上短距離では、シーズンオフの冬の期間は「冬季練習」といって体づくりの期間に充てられます。しかし、けがで思うように体をつくれず、大学2年のシーズンにはけがが重なり、記録も伸びませんでした。「顔には出しませんでしたが、ずっと精神的にきつかったです」と思い返す鈴木選手。つらいときに言葉をかけてくれたのは、地元の家族や先生方でした。シーズンを終え、「次こそは」との思いでウエイトトレーニングを取り入れ、けがをしない体づくりに取り組みました。 -
- ▲のちに「学生日本一」のタイトルを獲得しますが、大学時代は順風満帆ではありませんでした
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努力が実を結び ついには学生日本一に
- しかし、大学3年時の20年は新型コロナウイルス感染症の影響により、多くの大会が中止に。楽しみにしていた帰省も控えました。
「もちろん帰りたいという気持ちもありましたが、黙々と練習に取り組んでいました」。そして、10月に延期となった関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)男子1部100mで見事優勝。これが鈴木選手にとって大学での初めての大きなタイトルとなりました。
大学最終年では陸上部の主将にも就任。自分だけではなく、他の部員に目を配ることも求められるようになりました。「それまではあまり積極的な方ではなかったのですが、主将になってからは後輩に自分から話しかけたり、チームを雰囲気よくまとめるよう心がけたりしました」。プレッシャーを感じることも多かったものの、同期の助けを得て主将の責務をやりきったと話します。
競技面でも数々の好結果を残します。21年5月にポーランド・シレジアで開催された世界リレーに日本代表として選出され、4×100mリレーの第2走者を務めて銅メダルを獲得。帰国後の隔離があけてすぐ、同月の関東インカレでは、ライバルたちに競り勝ち男子1部100mで2連覇。追い風参考ながら10秒01のタイムに、競技場にはどよめきが起こりました。9月の日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)では100mで2位、200mで優勝。追い求めてきた「学生日本一」のタイトルをついに手にしました。自分の体や良い調子のつくり方を理解できるようになり、試合に向けて練習を組み立て、着実に取り組んできた成果が実を結びました。 -
陸上競技の魅力やおもしろさをもっと伝えたい
- 22年の春、地元の実業団に進むことになり、今まで以上に地元との関わりが増えることを楽しみにしていた鈴木選手が出合ったのが、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」でした。
仲良くしている、同じ陸上選手の青山華依(はなえ)選手(大阪府出身)が既に参加していたこともきっかけになり、「どうやって応募するの?どんな制度なの?って聞いて、ぜひ自分もやってみたいなと思って応募しました」。陸上はまだ、野球やサッカーに比べてメジャーではないと鈴木選手は感じていました。このプログラムに参加することで、自分一人だけではできないスケールで競技の魅力やおもしろさを伝えていけるのではないか、と考えたといいます。
「地元から」応援をもらう、というプログラムの趣旨も、心をひかれた点のひとつです。「なんだかんだやっぱり、浜松が好きですね」。地元の先生方の団結力や、浜松の空気感が好きだと語ります。
22年、プログラムの一環として、地元・浜松での陸上教室に参加したときには中学の頃の陸上部の先輩との出会いがあったり、教室に参加した方から支援を受けたりするなど、地元とのつながりを実感しました。
「地元で自分のことを知ってもらえる方が増えたという印象を受けました。自分的には結果を出すことはもちろんですが、それをもっと地元の人がアピールしてくださる。自分のためにもなるし、子どもたちが、こういう選手がいると知って、陸上をやってもらう機会も増えると思うので今回も参加を希望しました」 -
24年の国際大会に向けての大きな決意
- 100mと200mの二刀流が特長の鈴木選手ですが、実は二刀流へのこだわりはなく、「両方たまたまできちゃった」といいます。24年の世界最高峰の大会出場をめざす鈴木選手は、今季が勝負の年として、二刀流ではなく、どちらかに専念することを決意しました。
「国際大会はそこまで緩くない、極限までせめないといけない。基本的に強い選手は絶対どちらかに絞っている、両方できる人でも絞っている。だからどちらか一つに、絞るなら陸上の花形である100mにこだわりたいと思います」
「地元企業に就職することで、地元に恩返しできる機会が増え、応援していただくことも。国際大会で結果を残せば、地元企業の選手ということで取り上げてもらえる」と、鈴木選手。自分のためだけでなく、その結果でお世話になっている地元の人に恩返しするためにも、めざす大会に向けて大きな決意をした今季。これからどのようなニュースを届けてくれるでしょうか。
(取材・制作:4years.) - ================
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