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2024年に世界の頂点をめざす! 地元・山口を愛する頭脳派セーラー
- 「次があるという甘い気持ちでは世界に挑めない」と、強い言葉を述べるなど、24年に開催される世界最高峰の大会への並々ならぬ思いを語ってくれた鈴木義弘選手。小学1年生から続けてきた、競技人生の集大成を見せるためにも大切となる今シーズン。世界を舞台に、強豪選手と渡り合います。
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小1でヨットデビュー! 競技歴15年のベテラン頭脳派セーラー
- 三方が海に開けた山口県は、セーリングとなじみの深い県。瀬戸内海を望む自然豊かな町で育った鈴木選手も、幼いころからヨットに乗り、海に親しんできました。現在は世界を視野に、神奈川県の江の島で研鑽(けんさん)を積む日々。年に一度は海外遠征に出向き、世界トップクラスの選手たちから学びを得ることで、さらなる高みをめざしています。
鈴木選手がセーリングと出合ったのは幼稚園の時。二つ年上の兄が、学生時代にヨットに熱中した父親に連れられてヨットハーバーに行く際、同行していたのが始まりでした。しかし当時は指導を受ける兄の姿を眺めていただけ。ヨットは小学1年生以上でないと乗れないというルールがあったため、2年間はゴムボートの上からレッスンを観察していました。そのためか、いざ小学校に入学してヨットに初チャレンジしてみたところ、まだ何も教わっていないのに上手に乗ることができたそうです。小学1年生の後半になると大会にも参加し始め、年間20レースほど出場するようになりました。「毎週土日はヨットハーバーで、大会となると県外まで移動。同行する両親は大変だったと思います」と当時を振り返ります。 -
- ▲セーリングを始めて3年目の鈴木選手。山口の海に育てられました
- 小学4年生になるとジュニアオリンピックで優勝。さらに小学6年生で全日本選手権小学生の部優勝と記録を重ね、中学3年生から大学1年生の5年間にかけて、国体5連覇を果たしています (20年度・21年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響により国体が中止) 。
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所属企業のサポートを受け、さらなる高みに挑む
- 19年には念願だった早稲田大学スポーツ科学部に入学。「科学的知見に基づきながら知識や技術を習得することは必ず競技に還元されると考え、志望校を決めました。さらに、将来は指導者として地元・山口をはじめとする日本のセーリング競技の発展に貢献したいので、コーチングについて学べることも魅力でした」と明かします。
現在、練習拠点を神奈川県の江の島においていることに加え、海外遠征などでほとんど地元に帰れないという鈴木選手ですが、地元を離れて改めて魅力や温かさを感じています。明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に参加した理由も、山口を思ってのことでした。地元アスリートを支援する制度に共感し、鈴木選手も地元のみんなに元気を与えられる存在になりたいと考えています。今は新天地で挑戦する日々ですが、自分の活躍を通して、山口の人々に恩返ししたいという思いもあります。
「科学的に証明されていることに基づいて身体を鍛えれば、本当に数値が良くなっていくんです。やればやるほど結果につながるし、学んだことをすぐに実践できる素晴らしい環境でした」と、大学時代を振り返ってくれた鈴木選手。実際に22年10月の国体優勝、さらに22年11月の大学ヨット選手権の団体戦でもチームを優勝に導くなど、大会の成績を見るだけでも大学で学んだことが身になっていることがはっきりとわかります。
23年3月に早稲田大学を卒業。現在は元々スポンサーを務めてもらっていた企業「ユニバーシップ」に所属しています。「授業や課題に費やしていた時間も練習に取り組めるということで、一日の練習スケジュールが非常に濃密になりました。所属企業が自分の活動を理解して、支援してくれることにありがたさを感じていますし、その期待に応えたいです」と、さらなる飛躍を誓ってくれました。 -
海外選手にも負けないフィジカルを得て、試合勘を取り戻すために積極的に海外へ
- 22年シーズンは、活発に活動ができたと語る鈴木選手。海外渡航の制限も少なくなったことで、海外遠征が多くなったのだそうです。
「コロナの影響でなかなか海外に行けませんでしたが、国内で行なっていたトレーニングの成果を感じることも多かったです。具体的にはフィジカル面。海外選手と対峙しても競り負けない程度にはパワーがついたと思います」と、自信を持って話してくれました。一方で、課題となったのが試合勘。「接戦で展開されるレースで詰めの甘さが出てしまい、悔しい思いをしました。世界に出ればこれが大きな差となってしまうので、意識して修正したいです」と、22年11月の全日本選手権の優勝を逃し惜しくも2位になってしまった試合での経験を語ってくれました。
経験を積むために、22年シーズンはアメリカ、メキシコ、クロアチア、イタリア、そしてフランスと様々な国へ遠征。海外では、世界ランカーのクロアチア選手と練習を共にしています。「現在7人ほどの練習メンバーがいるのですが、全員が世界ランキング上位なんです。そういった日本では再現のしようがないほどシビアな練習環境に長く触れるほど、試合勘が戻ってくると思っています」と、鈴木選手。自身の課題を理解し取り組む、頭脳派セーラーらしい姿勢が印象的です。 -
経験から結果へシフト、夢舞台への挑戦につながる勝負の1年
- 鈴木選手の目標は24年に開催される4年に1度の大舞台に出場すること。そのためにも23年はもっとも大切なシーズンなのだそう。「ちょうど1年後にフランスで最終選考が行なわれるなど、今シーズンは大会での成績が全てになってきます。昨年までのように経験を得るといった段階ではないんです。どれだけ失敗せずに、安定した成績を残せるかということだけを追求したいです」と、その覚悟を語ってくれました。
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- ▲陸風、海風の両方にアジャストできるようになったと語ってくれた鈴木選手
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ミスを減らして、勝ちにこだわる
- 自分の強みは「どんなときでも勝ちにこだわっているところ」だと言い切る鈴木選手。
「勝つためには、一つひとつの選択をミスしないことが大切です。例えば船と船が交差する時は、『向こうの船に合わせて方向転換する』『向こうの船を避けて反対方向に進む』という二択から自分がいいと思う方法を選ぶことになりますが、選択した結果、順位が下がることもあります。分かりやすく言うと、ヨットレースは選択をミスするたびに順位が下がるので、判断ミスを減らすことも勝利への秘訣です」
勝つことにこだわっているからこそ、「どうすれば勝てるのか」の分析にも熱心。世界選手権で2連覇を果たしたパブロス・コンティデス選手を目標にしているのも、「勝つことに情熱を燃やしているから」と話してくれました。
「スポーツ選手は数字でしか評価を得られないから、とにかく結果にこだわってやっていきたいんです。日々、努力を積み重ねて、期待に応えられる数字を出していくことで、地元・山口の皆さんをはじめ、応援してくれている全ての人に恩返ししたいんです」 -
世界レベルの選手に成長して、地元・山口に恩返しを
- 目標を現実にするためにも、まずは23年の世界選手権、アジア大会で好成績を残すのが必須。「23年の世界選手権は4年に1度の全種目同時開催の大会。24年の世界最高峰の大会への出場のための多くの国枠がこの大会にかかっているので、日本としての出場枠を獲得し大会出場を確実にしたいです」と話してくれました。
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- ▲大学の友人と共に地元・山口の海をバックに写る鈴木選手(左端)
- 実は、24年の世界最高峰の大会を最後に、一線から退くことも考えているという鈴木選手。「まだ正式に決めたわけじゃないですけど、次があるという甘い気持ちで挑んじゃダメだと思ったんです。先の事は考えずに、まずは24年の世界最高峰の大会に集中しようと意識的に考えるようにしました。ただ、引退したからといってヨットの世界から離れるわけではありません。山口での後進の育成ができるような活動を通して、地元に貢献したいと思っています」
目標に向かってまっしぐらの鈴木選手に、地元・山口の好きなところをたずねたところ、「山賊焼きと海。すごく海がきれいなところだから、帰るたびにヨットに乗りたくなっちゃいますね。海外にいることが多いですけど、2週間を過ぎたあたりから実家を思い出して懐かしんじゃうんですよね」とコメント。心底、山口の海とヨットが大好きなことが伝わってきます。
クラウドファンディングで集まった支援金は、用具や海外遠征の費用に充てたいと考えています。研鑽を積んだ姿で世界の海を舞台に戦い、地元・山口への恩返しをめざします。
(取材・制作:4years.)