-
サイクルロードレースで世界をめざす 日本一の山がある富士市からさらなる高みへ
- 静岡県富士市に拠点がある「レバンテフジ静岡」に所属している21歳の高梨万里王選手は、自転車ロードレースのプロ選手です。富士市はすぐ近くに富士山があり、絶好のトレーニング場所であるとともに、リラックスできる場所でもあります。日本が世界に誇る富士山のように、高梨選手も日本の大会で実績を積みながら、ワールドクラスで戦うことをめざしています。
-
幼い頃から父親の英才教育を受ける
- 高梨選手は静岡県富士宮市出身で、富士市に拠点を置く「レバンテフジ静岡」に所属している自転車競技(ロードレース)のプロ選手です。2022年はJCL(ジャパンサイクルリーグ)の23歳未満のカテゴリーで年間総合ランキング2位となりました。
2歳の頃にはすでに自転車に乗り、3歳で大会に出場していたというから驚きです。「自分でチームを立ち上げるほど自転車に熱中していた父・俊雄さんから英才教育を受けていました。幼い頃から自転車がない生活は考えられなかったです」と話します。
小学1年になると、競技用のロードバイクに乗るようになり、全国大会にも出場。各地から参加した子供たちとレースをしたそうです。小学、中学時代は、週末は「自転車の国」と呼ばれる静岡・伊豆市にある「サイクルスポーツセンター」に通い、ひたすらペダルをこぎました。
中学時代は、平日の5日間は毎日、スイミングスクールにも通っていました。
「自転車競技は特に中学ではマイナーで、すぐに全国トップクラスになってしまうので、あえて競技人口が多い水泳に力を入れました。父のすすめです。水泳は自転車で必要な肺活量が鍛えられるので、小学生の時からやっていました」
1500メートルの自由形で東海大会に進出するほどのレベルに達しましたが、水泳は中学で区切りをつけました。水泳をしていたことで肺活量が鍛えられ、自転車競技に活かされているそうです。 -
高校時代の故障があったから今がある
- 高校は、強豪の自転車競技部がある静岡理工科大学星陵高校に進みます。中学3年時に全国トップ3の実力だった高梨選手は、有望選手として迎え入れられ、トラック種目で高校チャンピオンをめざしました。しかし、入学直後に腰を故障し、1年生の時は半年ほど自転車に乗れない時期もありました。「ショックでした。自分は無限の体力の持ち主だと思っていたので」と、当時の心境を語ります。結局、高校時代は、腰の状態が元に戻ることはなく、インターハイでも成績を残せませんでした。
けがに苦しんでいた時は、自転車競技を断念しようと考えたこともあったそうです。それでも腰が完治すれば、もう一度全国トップをめざせる、と自分を奮い立たせました。父・俊雄さんも「まだ高校生だから巻き返せる」と励ましてくれたそうです。
高校卒業後は、23歳未満のカテゴリーでトップになることを目標に設定しました。1年間は実業団チームに所属しながら完治に努めました。腰に負担が集中しないよう、腹筋や背筋などをしっかり鍛えたそうです。そして故障が癒えた翌年、「レバンテフジ静岡」とプロ契約を結びました。
つらい時期を乗り越え、けがをしたこともプラスになったと捉えています。
「もしけがをしていなかったら、今の自分はなく、プロとしてやっていけなかったかもしれません。高校生の段階で一度立ち止まれたのは良かったですし、地道にはい上がれたと思います」 -
- ▲23年4月にチャレンジサイクルロードレース(23歳未満)に出場しました(中央、緑色のウェアが高梨選手、レバンテフジ静岡提供)
-
プログラム参加「地元の方に喜んでもらえるのでは」
- 高梨選手はチームの先輩で、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に参加していた石井駿平選手(現在はチームを退団)から制度の話を聞きました。
「自分たちのチームは地域密着型のチームで、キッズ自転車教室や清掃活動など、様々な地域貢献活動をしています。私自身もチームの拠点である地元・富士市を強く意識していて、プログラムに参加することで、地元の方に喜んでもらえるのでは、と思いました」と応募した経緯を話してくれました。
世界の舞台で戦うことを見据えており、そのためにもまず、国内で結果を出さなければなりません。
高梨選手は月に5回、年間で40回から50回はレースに出場しています。3日間連続で行なわれる大会もあります。チームに所属しているプロではありますが、このうち5分の1ほどは個人で出場するため、経費を自身で捻出しなければなりません。「遠征にかかる費用が負担になっているのは確かです」と言います。今回のプログラムで集まった支援金は、個人として出場している国内の大会で生じる遠征費用に充てるつもりです。 -
富士山の自然が練習の疲れを癒やしてくれる
- 高梨選手が生まれ育ったのは富士宮市ですが、チームが拠点を置く富士市には強い思い入れがあるようです。「まず、すぐ近くに富士山があり、海もありと、練習環境に恵まれています。ロードレースでは上り坂が肝になるのですが、練習する場所にも事欠きません」と言います。
富士山は絶好のトレーニング場所であるとともに、リラックスできる場所でもあるそうです。
「オフの日も富士山の標高の高いところに行き、森林浴をしています。富士山の自然の恵みが、トレーニングで蓄積した心身の疲れを癒やしてくれます」
チームと富士市の絆も強いそうです。高梨選手は「練習しているとよく声を掛けてもらいます。応援してもらっていると感じます」と、笑顔を見せます。一方、レバンテフジ静岡は、地元貢献の一環として、プロのチームを呼んで、「富士クリテリウムチャンピオンシップ」(富士山サイクルロードレース)という全国規模の大会にも関わっています。
「チームとして、地元の方に生で自転車競技を見てもらえる機会を設けたい、という思いがあります」 -
- ▲チームの拠点からすぐ近くにある富士山は絶好のトレーニング場所です
-
名前の由来は世界的な自転車プロロード選手
- 「小学5年か6年の頃には、自分はプロになると決めていました」と記憶をたどる高梨選手。「万里王」という名は、父・俊雄さんがつけました。
「父からは、私が生まれた01年に世界一になった(世界的な自転車プロロード選手である)マリオ・チポリーニのようになってほしいという思いを込めた、と聞いています」
プロ通算191勝の偉大な選手と同じ名前で、「自転車で世界に行く宿命を背負っていると思っています」と覚悟を口にします。そのためにも23年は、23歳未満のカテゴリーで1位になるつもりです。
そして、24年以降に23歳以上の「エリート」のカテゴリーで日本一となり、(3年後の)25歳くらいで世界のトップチームに入ることを目標としています。
「23年は(23歳未満のカテゴリーで)全国1位になるチャンスがあると思っています。数年後、世界で戦っているところを見てもらいたいです」と言葉に力を込めます。
そして、こう続けました。
「私が富士市から世界に行くことで地元を盛り上げることができれば、それが、支援してくださる方への恩返しになると考えています。また、富士市から世界に行けることを証明することで、地元の子供たちに勇気を与えることができれば、と思っています」
日本一の山がある富士市から世界へ。高梨選手は、高校時代の苦労も糧に、自転車競技でワールドクラスをめざします。
(取材・制作:4years.)
※ヘッダー、プロフィール画像 レバンテフジ静岡提供 - ================
2024年2月29日をもちましてクラウドファンディングを終了いたしました。
ご支援をいただきまして、本当にありがとうございました!
■支援者一覧(順不同、敬称略)
ごり、松谷貴志、林昭男