-
世界レベルのバックハンド武器にプロとして船出 「人々に勇気を与えたい」
- 国内だけでなく海外でも実績を残してきた卓球の田中佑汰選手はこの春愛知工業大を卒業し、本格的にプロ選手としての活動をスタートさせました。すでに海外リーグ参戦の経験もありますが、2023年はTリーグを主戦場に日本代表をめざします。夢は40歳になっても世界の大舞台で戦うこと。戦い続ける姿を見せることで、応援してくれる人たちの力になりたいと考えています。
-
進化を続ける世界レベルのバックハンド 海外経験でより強く
- 2023年3月に愛知工業大を卒業してプロの卓球選手としてスタートした田中佑汰選手。世界トップレベルと戦える環境を求めて、21年にドイツブンデスリーガ、22年はフランスリーグプロAと大学在籍時から積極的にヨーロッパのプロリーグへ参戦しました。
リーグ戦はメダリストやWTT(World Table Tennis)シリーズ出場選手といった格上の選手と毎試合のように戦える一方、移動が車で6時間ということも当たり前、食事の準備も自分で行なうため練習時間が限られる日々でした。しかしリーグ戦で好成績をおさめ、2月にはWTTフィーダー(WTTシリーズ出場をめざす選手が出場する大会)デュッセルドルフIIで優勝しました。試合経験以外にも環境が整わない中でのコンディショニングなどヨーロッパ遠征で得たものは多いと田中選手は感じています。
「デュッセルドルフIIは、前日23時まで取材があってそこから車で8時間移動し翌朝会場へ。そして12時試合開始でした。しかも初戦は前回負けている相手。ウォームアップ時間も短く、厳しい要素はそろっていましたが、動きのあるストレッチを中心にするなどいつもとは違うメニューで体を仕上げて勝てたのが大きかった。ヨーロッパ遠征を経て、体の感覚や反応に以前よりも繊細になりましたし、状態を自分で判断し責任もって調整することも当たり前になりました。遠征時に持ち運ぶストレッチの道具も以前はひとつでしたが、今は4~5個持ち歩いています。長時間の飛行機移動の際は、空いているスペースがあればスクワットをすることもあります」
田中選手の最大の武器が打球点の早いバックハンド。立ち位置関係なく打つことができ、世界レベルと言われています。 -
- ▲どこからでも繰り出せる強力なバックハンドは世界レベルと評価されている
「初めての国際大会で中国人選手にバックハンドを決めた時、相手の反応から自分のバックハンドは通用すると確信しました。でもまだ完成途上。速さ、緩急、回転量、技術の幅、いずれも今以上にできるはずです。頭の中にイメージはできています」 -
コロナ禍の中、見つけた卓球への思い
- 中学で親元を離れ愛工大付属中へ入学し、愛工大名電高校、愛知工業大学と進学。毎年のように全国大会のダブルスや学校対抗戦で優勝を積み重ね、国際大会でも表彰されてきました。シングルスも14年全日本選手権カデットの部と22年全日本大学選手権で栄冠を手にしています。ダブルスや学校対抗戦で献身する姿勢は同級生や指導者からも評価され、高校と大学では主将も務めました。
そんな田中選手にも、悔しさをかみしめた経験があります。地元・愛知県で開かれた高校3年のインターハイで「シングルス・ダブルス・団体戦の三冠を達成する」と公言して臨んだ田中選手はダブルスと団体戦で見事優勝。シングルスでも決勝に進みました。ところが、前年も敗れていた同世代のライバル・戸上隼輔選手に敗北を喫してしまいます。「前年は同じ部の先輩が三冠を達成し、主将として臨んだ地元開催のインターハイでは必ず自分が三冠をと心に決めていました。くやしくて、みなさんに申し訳なくて……」
ただ、このときの苦い経験が今に生きていると言います。「あのときは主将として団体戦、ダブルスに意識が向いていたこともあり、『三冠』と口にしながらも、シングルスの準備が100%できていなかったと感じました。あの悔しさを二度と味わいたくないと結果にこだわるようになり、シングルスの準備にも妥協なく取り組むようにしています」 -
- ▲高3のインターハイで三冠制覇できなかった経験が、田中選手を強くしたという
悔しさを知り、勝つことにこれまで以上にこだわるようになった田中選手。卓球への熱量がさらに高まって好成績を収め続け、現在は日本代表が手の届くところまで来ています。大学を卒業してプロのアスリートとして臨む今年は国内のTリーグを主戦場にして日本代表を狙います。 -
卓球熱が高い名古屋 応援と赤みそが力に
- プロとして活動するうえで不安になるのが活動資金です。両親に資金面で迷惑をかけたくないと思う一方、スタートしたばかりで援助をしてくれるスポンサーも少なく、大会賞金を獲得していくしか道はありません。そのような時、卓球部の先輩の木造勇人選手が明治安田生命の地元アスリート応援プログラムに参加し、クラウドファンディングをしていたことを知りました。
転勤一家の子どもだった田中選手は、熊本県で生まれて千葉県の小学校へ通い卓球と出合い、愛工大付属中入学とともに名古屋で寮生活を始めました。以来名古屋に住んでいます。名古屋および愛知県は卓球が伝統的に盛んで、街には多くの卓球教室があります。名門クラブも多く、卓球選手の強化プログラムも充実しています。そのような地域の特徴もあり、卓球部と地元の方もよく交流しています。
「中学時代は地元クラブとの交流試合もありましたし、高校や大学では街の卓球教室に行って教えることもありました。私のことを歓迎してくれて、サインをしたり一緒に写真を撮ったりしました。応援していますと言ってもらえて本当にうれしかったです。こんな名古屋の卓球文化をさらに盛り上げていきたいです。そのためにもプロアスリートとして教室に招待されるような選手にならないといけません」
もちろん卓球だけでなく文化でも名古屋になじんでいます。自分は名古屋人だと感じる瞬間は「赤みそ」です。
「名古屋に来た当初はおでんに赤みそをつけることも新鮮すぎて、正直おいしくないなあと思ったものですが……。今は逆に赤みそ無しではいられない体になってしまいました」 -
欧州挑戦で見えた将来像 世界の第一線で活躍し続けたい
- 粘り強い守りをベースに相手を揺さぶりながら主導権を握り、バックハンドで決めるのが田中選手のスタイル。「世界レベルでも、自分に似たスタイルの選手は息の長い活躍をしていることが多い」と分析しています。
-
- ▲粘り強い守備で好機を待ち、強力なバックハンドで決めきるのが田中選手のスタイル
ヨーロッパでは、40歳を超えた選手が技術と経験で20代の選手に打ち勝つ姿を何度も見てきました。自身も、長く世界の第一線で活躍し続け、世界最高峰の舞台でメダルをとることが目標です。表彰台に立ち、多くの人を勇気づけたいと考えています。
(取材・制作:4years.) - ================
2024年2月29日をもちましてクラウドファンディングを終了いたしました。
ご支援をいただきまして、本当にありがとうございました!
■支援者一覧(順不同、敬、称略)
michiyo、まさはる、まさき、内山佑樹、くじら、和田三造、なつ、渡辺寿水、マリブー、MJ、A.T.、マッシー、シンゴマヒ、きゃんべる、りゅうにゃん、辰井裕紀、みんす、高泉 亮太郎、小原、みっちゃん、神尾、しゅんしゅん、まさき、まさき@、酒井珠美、おかずおばさん、ここあ、mimi、YAPF、下山優樹、西川 翼、Yuh(suzuki yumiko)、高樹ミナ、徳竹喜一、前田靖彦、田中選手応援、ヤチベ、鈴木之夫、松本清一、木原とも子、竹下友也、葛西 美奈、三宅 選子、なーじゃ、高木悠凪、いまいずみ、あこどる、Ito Yu、坂本クミ子、阿部みどり、新谷由美、葛西美奈、かわむら まさと、すべ、スピカ、IKUKO、近藤、ゴリゴリの先輩、しばふみしばひろ、夏が嫌い、らい4、しと、松村 祥江、りな、かささぎ、りょう、いさき、マーシャ、なみ、藤原さやか、松岡亮、石原治、熊本みいちゃん、よっしー、ひとり、くずい、木内康裕、mika🏓、じいじ、ばあば幸、ボロボロ(関西狂人会)、ととこ、OZK、kajigroup 、バアバサチ、バーバーさち