-
納得のいく泳ぎをして、地元のみんなに喜んでもらいたい
- 佐賀県パラスポーツ協会で活動する水泳コーチの祖母の指導を受けながら、ストイックに練習を続ける坪井夢輝選手。23年は自身初の海外試合も経験するなど、24年のパラスポーツ最高峰の国際大会出場に向けて着実に成長を続けています。
-
社会人としての自覚を持って世界に挑む
- 23年春、中原特別支援学校を卒業し、地元のブリヂストンカンツリー倶楽部に就職し、社会人アスリートとして挑戦している坪井夢輝選手(佐賀県出身)。職場は山の上にあるので社員は車を利用しますが、坪井選手は高校時代から変わらず、現在も自転車で通勤しています。本人はトレーニングの意識はなく、「距離は高校より近くなった」と言いますが、ゴルフ場は山の上。筋肉のつき方が変わってきていると、コーチをする坪井選手の祖母が話してくれました。そんなストイックな坪井選手が水泳を始めたのは2歳半の頃でした。
祖母がコーチで、2人の姉と叔母もやっていたことから、水泳を始めた坪井選手。「最初はうまく泳げなくて、毎日プールに通うのが大変で、あまり楽しくなかった」という水泳でしたが、「仲間も増えて、小学6年生ぐらいからは楽しいと思えるようになりました」。姉たちが引退した現在は、妹とプールに通い、毎日の練習に励んでいます。 -
- ▲働き出してから、仕事後にスイミングスクール向かうのが楽しみになっています
得意な種目は自由形。中学3年生の頃から大会で上位に入る機会が増え、「賞状をもらえるとうれしい」と坪井選手は言います。21年12月の全国知的障害者水泳競技大会では、50m自由形、100m自由形、200m個人メドレーの3種目を制しました。しかし、いずれも「自己ベストのタイムに届かなかったので、優勝はしたけれど納得できる泳ぎではありませんでした」と、坪井選手は決して満足していません。 -
応援してくれる先生方や地域に恩返しを
- 明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」は、佐賀県障がい者スポーツ協会(現・佐賀県パラスポーツ協会)の藤井洋恵さんから推薦してもらいました。鳥栖市で生まれ育った坪井選手は、幼い頃から「地域の人たちに『夢輝、夢輝』と可愛がってもらったことが今でも忘れられません」。自分に自信が持てるようになったのも、いつも「夢輝、頑張れ!」「大丈夫だよ」と温かい言葉をかけてくれる支援学校の先生方やベストスイミングクラブ鳥栖のコーチたちのおかげだと思っています。
22年6月の九州障がい者水泳選手権では、50m、100m、400mの自由形で3種目優勝。大会記録もマークしました。そんな坪井選手の力になっているのが、コーチからの「お前ならできる」との言葉でした。「自分ならできる」と鼓舞し、25mの日本記録まで約0.3秒、50mは1秒半まで迫っています。
「いつも変わらずに応援してくれる先生方、学校やクラブに少しでも恩返しをしたいし、地元に貢献をしたい。家族への負担も少しは軽くなる」と考え、プログラムに応募してみようと決めました。 -
スイミングクラブと自宅がある鳥栖は特別な街
- 佐賀県の中でも鳥栖は、坪井選手にとって特別な街です。「子どもの頃は友達とサッカーやバスケットボールをして遊びましたし、好きなスポーツブランドが数多くそろっているアウトレットモールには、今でもたまに家族や友達と出かけています」。ただ、心のよりどころと言える場所となると、「同年代の仲間がいることで、苦しい練習にも前向きに取り組める」というベストスイミングクラブ鳥栖と、「家族とリラックスして過ごせる」という自宅が真っ先に頭に浮かびます。
「マグロのお寿司や刺し身が好き」という坪井選手ですが、佐賀県の名産品としては、「有明海で採れる香ばしい佐賀のりや、果汁がみずみずしくて甘いイチゴがおいしい」と笑顔で紹介してくれました。 -
支えはコーチからの「お前ならできる」
- 「レース前は緊張するけれど、飛び込み台に上がると緊張がなくなります」と話す坪井選手。でも、常に思い通りに泳げるわけではありません。これまでレースでは目標タイムを切れないことが何度もありました。そうした壁にぶつかった時は、「スイミングクラブのコーチや仲間に相談したり、必死に練習に打ち込んだりして乗り越えてきました」。
コーチからよく言われるのは、「お前ならできる」という言葉。それを自らのパワーに変えて歩んできました。競技を続けていけば、これからも苦労する場面はたびたび訪れるはずですが、「自分ならできる」という言葉を胸に、これからも歩んでいくつもりです。
今後の目標は、24年に行なわれる4年に1度のパラスポーツ最大の国際大会に出場すること。その目標に向かう一歩として23年6月には自身初の海外大会も経験しました。また、10月のアジア大会でも代表候補に挙がっています。
坪井選手には「一度でいいから母を海外の大会に連れていきたい」という思いもあります。しかし、6月の大会はフランスで行なわれたため、そこは断念。10月に中国で行なわれる予定のアジア大会に選出されれば、その目標も達成できるかもしれません。
24年の国際大会ではどのような泳ぎをしたいのかを伺うと。「一番はやっぱり自分が納得のいく泳ぎができればいいと思います。それに対して、みんなも喜んでくれる。やっぱり自分が納得いく泳ぎができないとみんなにも喜んでもらえない」と、順位にこだわるのではなく、ベストな泳ぎができれば結果がついてくるとも考えています。
そのためには海外大会での経験も必要です。支援金の使い道は、全国各地、そして海外大会への遠征費に充てたいと考えています。 -
坪井選手にも鳥栖ならではのご褒美が!?
-
- ▲24年の国際大会で自身が活躍することは、鳥栖を知ってもらうことにつながります
「地元アスリート応援プログラム」を通じて、坪井選手は「たくさんの人たちに自分が頑張っている姿を見てもらいたい。有名な水泳選手になって、鳥栖はすごいなと全国のみなさんに知ってもらいたい」と力を込めます。
鳥栖の好きなところは「明るいところ。やっぱり街の雰囲気。いろんな人が明るいから鳥栖も明るくなっているなと思います。励まされます」と、語ります。地元でも、トップアスリートとしての坪井選手の認知度も上がってきています。23年10月以降には、坪井選手が多くの感動や勇気をもらったJリーグのサガン鳥栖とのイベント出演も計画されているそうです。
「夢輝」という名前は、周りの人に夢を届けるだけでなく、自身も夢をつかむという思いが込められているかもしれません。
さらに、Bリーグの佐賀バルーナーズも23-24シーズンにB1昇格が決定しています。今後、佐賀はスポーツでさらに盛り上がるでしょう。その一翼として、坪井選手の活躍からも目が離せません。
(取材・制作:4years.) - ================
2024年2月29日をもちましてクラウドファンディングを終了いたしました。
ご支援をいただきまして、本当にありがとうございました!
■支援者一覧(順不同、敬称略)
きずな