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「篠栗町を全国に広め、恩返しがしたい」 柔道の世界頂点へ
- 父親が指導者の柔道一家に生まれた姥琳子選手。物心がついた4歳のときには、福岡県篠栗町にある武道館の畳の上で稽古にのめり込んでいたといいます。2023年春、同県有数の進学校として知られる修猷館高校を卒業し、4月から早稲田大学スポーツ科学部に通い、文武両道で柔(やわら)の道を歩んでいます。
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不退転の覚悟で挑んだ中学校最後の夏 メダルの真の価値知る
- 4歳のとき、柔道を習っていた2人の兄から影響を受け、「私も道着とメダルが欲しい」と父親に頼んで篠栗町の道場へ。当初は受け身などの基礎練習ばかりで柔道の面白みを感じなかったものの、5歳で初めて出場した大会で変わりました。「出場した3人中の3番目だったのですが、当時はその意味をよく分かっていませんでした。銅メダルをもらえたことが、純粋にうれしくて」と姥選手は笑って振り返ります。
メダルの持つ本当の価値を知ったのは15歳のときです。中学2年生までは県大会で敗退し、大舞台に縁がないまま中学3年生の夏を迎えました。「このまま全国大会に出場できなければ、柔道をやめる」と不退転の覚悟で臨み、地元の仲間たちに支えられながら県大会、九州大会のトーナメントを勝ち抜きました。底知れない潜在能力を発揮したのはここから。チャレンジャーの気持ちで挑んだ全国中学校柔道大会では女子57キロ級で初優勝。「日本一になっちゃった」と本人も驚く金メダルを手にしました。
そして、高校進学は人生の分岐点になりました。柔道に力を入れるスポーツ強豪校からの誘いを受けるなか、「勉強と競技を両立させたい」と県立の修猷館高校へ。有言実行で高校2年時の3月には全国高校柔道選手権を制覇。最終学年のときには全日本柔道連盟の女子C強化選手(ジュニア)に選ばれ、全日本ジュニア柔道体重別選手権で3位の実績を残しました。 -
- ▲幼少期の姥選手
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悩んだ大学選び 家族から背中押され決断
- 悩んだのは大学選びです。早稲田大学から声が掛かったものの、心配したのは経済面でした。姥選手は4人きょうだい。両親の負担を考えて、二の足を踏んでいると、「私立大学でも大丈夫だよ」と両親から背中を押されました。ただ、どこかで気が引けていたのも事実です。そんなときに父親の知人に紹介されて知ったのが、競技活動を支援してくれる「地元アスリート応援プログラム」の制度でした。
「活動報告をすることで多くの人に私のことを知ってもらい、サポートを得られる仕組みに魅力を感じました。目標に向かって努力する姿に共感してくれる人たちが増えれば、一層頑張ろうという気持ちも芽生えます。練習に熱が入りますし、良い循環だなと思いました」と姥選手は語ります。今後、一緒に夢を追いかけてくれる人たちが増えることを期待し、今から胸を膨らませています。 -
- ▲高校3年生のときに全日本ジュニア柔道体重別選手権で3位入賞した姥選手
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諏訪神社の「激坂」、ココア揚げパンなど懐かしの味……思い出たくさん
- 全国に目を向けつつも、幼少期から育ってきた篠栗町への思いは特別です。柔道で活躍していく姿と一緒に町のことを知ってもらいたいと思っています。
「私が実績を残すことで篠栗町の名前を日本全国に広めたいです。それが一番の恩返しになるのかなと」
15歳まで鍛錬を積んだ篠栗町の道場には、思い出がたっぷりと詰まっています。年季の入った武道館の木の香り、汗が染み込んだ畳の匂いを感じると、不思議と心が落ち着きます。姥選手は「自分の家に帰ってきたような感覚になるんです」と話します。
道場近辺の光景も鮮明に記憶に残っています。諏訪神社の「激坂」と石段は、数え切れないほど駆け上がりました。坂を上がって階段を下り、階段を上がって坂を下ること5往復。週1回はこの「5・5」と呼ばれた特別メニューで脚力を培いました。
「あのトレーニングのおかげで延長戦になっても、勝てるという自信がつきました」
試合で結果を残したあとは、篠栗町で心ゆくまでお腹を満たしたといいます。町内にある飲食店「OHANA」のチキン南蛮、「夢や」のココア揚げパン、「真心ダイニング 厨~りっぷ」の焼きそばに唐揚げ、頭には次から次に懐かしのメニューが浮かびます。どれだけ月日が流れても、篠栗の味を忘れることはありません。 -
- ▲全国中学校柔道大会で優勝したときに地元の道場の仲間から祝福を受けた姥選手(左)
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地元で味わった挫折を糧に 頑張り方を変え、つかんだ全国優勝
- 今となっては、地元で味わった挫折も糧となっています。高校2年生のインターハイ本選では初戦敗退。努力を怠っていたわけではありません。むしろ、強豪校に負けないために部活の練習前後に精力的にフィジカルトレーニングに励むなど、人一倍練習量をこなしていました。それでも、スランプに陥り、思い悩んでいたある日のこと、修猷館高校柔道部の藤原誠監督から「もう少し柔道の稽古に意識を向けたらどうか」と声を掛けられました。一度立ち止まり、考え直しました。選手の自主性を重んじてくれる指導者の言葉は、腑に落ちるものでした。自主練習のルーティンをこなすために、肝心の稽古に全力を注げていないことに気付いたのです。「頑張り方を間違えていました。助言をもらって以降、コンディションを考えて、自主練習を調整するようにしました」。練習メニューを組み変えた効果はてきめん。高校2年生の3月に挑んだ全国高校柔道選手権で優勝という結果を出し、現在につながっています。
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練習を充実させ、世界一の「金」をめざす 支援者へのメッセージ
- 早稲田大学では全日本インカレ、講道館杯全日本柔道体重別選手権など目標とする大会はいくつかありますが、目の前の試合を一つひとつクリアすることに集中しています。その先に世界大会があると信じています。最終的にめざすのは、28年にアメリカのロサンゼルスで開催される最高峰の舞台。メダルが欲しくて始めた柔道。大学1年生になったいまは、世界一の「金」を夢見るようになっています。
大きな夢を追う過程には、地道な努力が欠かせません。地元アスリート応援プログラムの支援もそのために使うつもりです。1日1本使い切るテーピングは約300円。頻繁に足を運ぶ出稽古の交通費もかさみます。大事なのは毎日の練習を充実させることです。
「身のまわりの環境から整えていきたいと思っています。目標に向かって頑張っていくので、応援をよろしくお願いします」。メッセージには誠実な人柄がにじんでいました。 -
- ▲高校3年生のときに参加した講道館杯全日本柔道体重別選手権大会の様子。姥選手は白の道着姿(手前)
- (取材・制作:4years.)
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薄井 崇介