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もう一度トラックで笑顔を見せるために、けがからの復帰をめざすほほ笑みのスプリンター
- トラックで見せる満面の笑みがトレードマークの青山華依選手。そのスピードだけでなく、髪色やネイルにも注目してほしいと話すなど、「かっこいいアスリート」が目標。2023年シーズン前のアクシデントによるけがからの復帰をめざす青山選手。地元・大阪のみんなが支えてくれるなど、地元との素敵なつながりも印象的なアスリートです。
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「家族ぐるみ」で陸上に向き合う、生粋のスプリンター
- 青山選手(大阪府出身)は甲南大学3年生で、特に21年に入ってから大きな成長を見せています。大阪高校卒業直前の21年3月には、女子100m走で11秒56をマークし自己ベストを更新。その年の夏に行なわれた世界最高峰の大会では、リレーの代表選手として第1走者を務め、日本記録まであと0.05秒の好記録をマークしました。22年に入っても、3月の日本室内陸上選手権の60m、4月の日本学生個人選手権と5月の東京選手権の100mで優勝と絶好調。自己ベストも更新するなど順調なシーズンをおくりました。
青山選手は、高校時代にリレーでインターハイ優勝に輝いた父と、走り高跳びの選手だった母のもと、スポーツに親しんできました。小さい頃は母と一緒に通ったクラシックバレエや、新体操にも取り組んでいました。
バレエは小学校低学年でやめてしまったそうですが、興味をひかれたのが陸上競技でした。小学5年生になった年、父親に誘われて一緒に体験入部したクラブチームで練習しているうちに、自然と陸上競技を楽しむようになったそうです。
父親がコーチをしてくれていることもあり、陸上競技とは、食卓でも話が出る「家族ぐるみ」の付き合い。「一緒に練習してくれることもあったので、飽きなかったのだと思います」と青山選手は振り返ります。中学時代には、「これまで内緒にしていたのですが、『歯医者に行きます』と言って休んだりもしていました(笑)」と、時にはずる休みしてしまうこともあったそうですが、卒業後も強豪の大阪高校で競技を続け、順調に力を伸ばしてきました。高校2年生だった19年6月には、日本選手権100mで3位入賞。10月には、国体の少年女子A100m走で見事優勝を果たしています。 -
みんなと一緒に戦えることが、陸上競技最大の魅力
- トップアスリートである青山選手ですが、陸上競技にひかれる理由は、個人競技であることを考えると少し独特かもしれません。
「みんなと一緒に戦えることが、陸上競技の一番の楽しさなんです。ライバルも友だちなので、レースでゴールした後に『お疲れさま』って言い合うのも楽しいです。大人数でいるのが好きで、高校の陸上部もそういうワイワイとした『楽しい系』でした。走った後で、ああだったね、こうだったねとみんなで言い合うのが楽しみでした」 -
- ▲ともに走る選手たちは、ライバルであり仲間だといいます(左が青山選手)
もしかしたら、これまでの生活が、その理由の一つかもしれません。生まれ育った大阪を、青山選手は「小さな頃からずっと暮らしていますが、ワイワイしている街ですね。『大阪のおばちゃん』って、いるじゃないですか。知らない人にでも普通に話しかけて、すごく親切。それがメッチャ良いと思います」と語ります。「生活の一部」という陸上競技も、大阪の空気も、現在の青山選手を育んでくれたものでした。
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」に応募したことも、自然な流れでした。地元・大阪の陸上競技協会からこのプログラムを教えてもらうと、「大阪陸協の方にもお世話になっていたこともあり、私も大阪を盛り上げたいと思いました」と応募を決めました。
高校時代の監督とコーチは、どこへ遠征するにも同行してサポートしてくれて、チームメイトもいつも大きな声援で背中を押してくれたそうです。そうした仲間や、朝練に向かう青山選手のために5時に起きてお弁当をつくってくれた母、遠方の大会にも応援に来てくれた父。みんな、大事な「地元・大阪」の一部です。
「4月に大阪城公園でピクニックをしたんですけど、都会ながら自然もいっぱいある地元はやっぱり素敵だなと実感しましたね」と、改めて地元に対する愛着を語ってくれました。 -
練習中のけがと手術。もう一度競技に戻るためにリハビリに励む
- 春先に3度の優勝を果たし、自己ベストを更新するなど順風満帆に見えた22年シーズンですが、課題も生まれたと言います。「春先が良かった分、夏から秋にかけて調子を落としていました。連続で試合に出ていた分、練習でギアを上げられなかったことが原因だと思います。また、下半身の筋肉不足も痛感しましたので体幹を含め筋力強化に取り組んでいました」と、練習を積んでいた青山選手。ですが、23年シーズン前の練習中に左ひざを負傷してしまうアクシデントに見舞われ、競技人生初の手術も経験しました。
「けがをしたときはショックでした。小学生から陸上をやってきて、こんなに長い期間走らないことはなかったですから。でも、いったん休憩だと捉え、今は気持ちを切り替えてリハビリを行なっています。きっとけがから学べることもあるはずです」と、選手生命に影響しかねないけがを負ったにもかかわらず青山選手はいたってポジティブ。9〜10月頃にトラックに戻れることをめざして、懸命にリハビリに励みます。 -
けがを乗り越え、大学4年間で新しい世界の扉を開く
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- ▲笑顔がトレードマークの青山選手。けがからの復帰をめざし、リハビリに励みます
高校卒業後も陸上競技を続けようと考えたのは、もちろんこのスポーツが好きだからです。さらに、新しく視界に入ってきたものがあります。
「日本選手権と日本インカレでの優勝をめざしています。大学での4年間で、大学記録、日本記録の更新もめざしていきたいです」と大学進学前に語っていた青山選手。
在学している甲南大学では、元男子100m走の日本記録保持者である伊東浩司さんも指導にあたっています。大学での指導は高校とはまったく違うものだそうです。
「大学では、全部自分で決めないといけません。高校では『これはどうしたらいいですか』と先生に尋ねると、『こうしたらいいんじゃないかな』と全部教えてくれたのですが、今は『自分はどう考えるのか』と言われます。私から『分かりません』と言うことはなく、全部自分で考えて答えを出さなければいけないんです」
21年には世界最高峰の大会にも出場した青山選手。新たな目標も生まれました。
「世界大会では海外の選手が、レース直前の緊張感のある空気のなかでも、おしゃべりするなどリラックスしていて、お祭りみたいな雰囲気でした。だから、次の大会でももう一度あの雰囲気を楽しみたいです」
青山選手のトレードマークは笑顔。練習時やレース前にも笑顔は欠かしません。そしてめざしているのが、「かっこいいアスリート」です。
「走りもそうですけど、髪色とかネイルとか、そういう細かいところも見ていただいて、こだわっているんだなと思ってほしい。走りだけでなく、オシャレも、大学生活も楽しんでいるところを見てほしいですね」
今回の支援金は、けがの治療費や復帰後の大会の遠征費に充てたいと考えている青山選手。支援を受けることで、遠征を増やしもっとたくさんの人たちと交流したい、という思いもあります。「今はちょっと難しかったりもしますが、いろんなスポーツイベントにも積極的に参加して競技の魅力を伝えていきたいです」と意欲を語ります。
チームや競技場で周りを笑顔にする青山選手。なにごとも楽しみたいというこのスタイルに憧れて、陸上競技を始める子どもたちも今後出てくるかもしれません。けがから復帰した後には、またとびきりの笑顔でトラックに立つ姿が見られるはずです。
(取材・制作:4years.) - ================
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