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中学3年生で全国優勝 強豪「上三川フェンシングクラブ」で仲間と切磋琢磨
- フェンシング男子エペの菊池徹平選手(栃木県立宇都宮中央高校2年)は小学2年生の時、フェンシング選手だった母親の影響で「何となくやってみよう」と競技を始めました。エペの面白さにのめり込み、何人もの日本代表を育てた相場平光代表率いる「上三川(かみのかわ)フェンシングクラブ」で飛躍的な成長を遂げました。
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まさかの予選落ちが、今につながる原動力に
- 競技を開始した当初は、攻撃権や有効面が限られるフルーレを専門に取り組みましたが、5年生の時、エペに転向。当時のコーチから「お前は考えすぎて体が動かなくなる。エペに転向してみないか」と促されたことが理由でしたが、次第に体のどこを突いても得点となるエペの駆け引きに魅了されていきました。
5年生で出場した東日本少年個人フェンシング大会で3位となり「エペで勝ちたい!」とモチベーションはさらに高まり、翌年は優勝を狙って出場しましたが、まさかの予選落ち。「あの悔しさで、もっと頑張らないといけないんだ、と思えた。今につながる原動力になりました」と振り返ります。 -
- ▲東日本大会で3位となり、相場代表と記念撮影する菊池選手
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グリップを変え、プレースタイルにも変化
- 中学生になってもなかなか全国大会で上位進出を果たすことができず、納得のいかない結果ばかりが続きました。しかも追い打ちをかけたのは、同じフェンシングクラブで練習を重ねてきた1歳下の選手が、菊池選手よりも先に日本代表として世界大会に出場したことでした。
「なかなか勝てないことにも落ち込んでいたし、普段練習していて勝っていた相手が先に日本代表になったことも悔しい。メンタルはボロボロでしたが、でもその時に『絶対自分も日本代表になりたい!』と強く決意しました」 -
- ▲競技を始めた頃は自宅の柱にタオルを巻き付けて練習していました
そんな中、菊池選手に転機が訪れます。思わぬヒントを与えてくれたのは母親でした。
「『相手との距離感がよくないから、(剣の)グリップを変えてみたら?』と言われて、それまで使っていたものよりも長さがあるフレンチスタイルに変えました」
グリップを変えたことでプレースタイルにも変化が生じ、感覚もつかんだ菊池選手。より確かな実感を得るために「早く試合で試したい」と望んでいましたが、新型コロナウイルス感染症の影響で公式戦が軒並み中止に。約1年間、まったく試合がなくなってしまった後、ようやく開催された中学3年時の全国大会で初優勝。取り組んできたことが間違いでないと自信を得ました。そしてU17日本代表にも選出され、世界選手権出場へとつながり、菊池選手の視野はさらに広い世界へと広がっていきました。 -
- ▲2023年4月の世界ジュニア・カデ世界選手権大会に出場(左、©日本フェンシング協会)
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4人の祖父母の力が支えに
- 練習拠点は生まれ故郷である栃木県。宇都宮市在住の菊池選手ですが、中学生までは上三川フェンシングクラブが練習拠点で、毎週末、朝8時半からの練習に合わせて自宅を出て、片道40分をかけて父親が運転する車で向かう生活を送ってきました。
支えになったのは、常にそばで一番に応援してくれた4人の祖父母の存在です。祖父母の家には、菊池選手の新聞記事や写真が壁中に飾られ、インターネットの試合配信がある日はどこにも出かけずに応援してくれました。また練習へ行く前に立ち寄る祖母の家で出される豪華な朝食もありがたかったといいます。「ハンバーグや唐揚げ、これから練習に行く僕のためにと祖母が朝からたくさん作ってくれるので、父からは『こんなに食べられないだろう』と言われるほどでした(笑)。でも全部おいしかったし、祖母の家は僕にとっていつも故郷を感じる癒やしの場所でした」
栃木から全国、そして世界へと活躍の場を広げる菊池選手は、家族だけでなく地元の人々にとっても誇れる存在です。試合に出て結果を残すと「頑張ってね」「新聞見たよ」と声をかけてもらえることがうれしく、「また頑張ろう、と前を向けた」と話します。一方で、活躍の場が広がるからこその悩みも生じます。
明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を知ったのは、まさにそんな時でした。
「同じクラブで練習していた先輩から『こんな制度があるよ』と教えてもらったのがきっかけでした。少しずつ結果が出るようになって大きな規模の合宿にも呼ばれるようになったのですが、遠征費もかかる。道具代も含め、自己負担の部分がかなり多くなり、でも勝つためには一つでも多くの合宿や大会に参加したかった。今まで自分が結果を出すことができたのは、自分の頑張りだけでなく周りの方々の支えがあったからだと感謝してきたのですが、なかなか恩返しの場がない。このプログラムならば、自分が結果を出すことが恩返しになり、地元に貢献できると思ったので応募しました」 -
- ▲現在通っている、宇都宮中央高校の前で
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自分が頑張ることで、競技人口が増えたら本当にうれしい
- 自然が豊かな栃木県は名産も多く、イチゴやかんぴょう、ギョーザといったおいしい食べ物も、菊池選手にとっての地元自慢です。そして自分が活躍することで栃木の良いところを多くの人に知ってもらえればさらにうれしい、と目を細めます。
「日本代表になって世界選手権に出場することは競技者としての目標ですが、自分が活躍することで栃木県の宇都宮市や上三川町の良さを少しでも多くの方に知っていただけたらうれしいです。何より、僕はフェンシングという競技が大好きで、本当に面白くて楽しいスポーツだと思っているので、フェンシングをもっとたくさんの方々に知ってほしい。自分が頑張ることで『やってみたい』と競技人口が増えたら本当にうれしいです」
選手としては一つひとつの大会で結果を残し、出場する試合を増やしていく。そして自信や経験を重ね、新たな世界へ。一歩ずつ着実に、目の前の壁を乗り越えていくことが「フェンシングを多くの人に伝える」という大きな夢につながると信じて、菊池選手は栃木から世界へと羽ばたきます。
(取材・制作:4years.)
※プロフィール写真 ©日本フェンシング協会 - ================
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