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頑張るだけじゃなく、楽しみながら「カッコいい滑り」をめざす
- 2022-23年は、シーズンの始めの大切な大会でけがをしてしまい、悔しい1年だった北村葉月選手。復活をめざす今シーズンは頑張りすぎることなく、「スノーボードを楽しんでやろう」とマインドを切り替えたことで、北村選手がめざす本来の「カッコいい滑り」が戻ってきました。
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原点は「みんなでワイワイするのが楽しかった」
- 北海道森町出身の北村葉月選手は、この春に高校を卒業しフリーで競技を行なう18歳。スノーボードの人気競技「ハーフパイプ」は、半筒状のコースを滑りながら空中でトリック(技)を繰り出し、その難易度や組み合わせ、高さなどを基準に採点が行なわれるスポーツ。近年、日本人選手が世界大会で結果を残すなど国内のレベルは上昇中ですが、そのなかでも北村選手は次世代のホープとして注目されています。
小学1年生からバレエ、2年生でスケートボードなど様々なスポーツを経験し、スノーボードをはじめたのは小学4年生の時。「板に乗っている感覚がスケボーと似ていて、ちょっと滑れたらイェーイみたいな。みんなでワイワイするのが楽しかった」。小学5年生の時にハーフパイプの地方大会に初出場を果たし、「怖くはなかったですね。やってみたいという気持ちのほうが強かった」と振り返りますが、結果は予選落ち。「うまい人ばっかりだったから、私ももっとうまくなりたい」と負けず嫌いの心に火がつきました。 -
- ▲スノーボードを始めた小学4年生の頃の北村選手
それから週末は片道4時間かけて両親に送迎してもらい、今もホームゲレンデとしてトレーニングを積む札幌市内のばんけいスキー場へ。土曜日は札幌市内の祖母の家に泊まり日曜日の深夜に森町に戻る。そんな週末を繰り返しました。19年には中学2年生ながら新潟県南魚沼市の石打丸山スキー場で開催された全日本スノーボード選手権大会で初優勝。自信になったと本人は語り、「(エアで)高さが出たのが良かった」と高さへのこだわりを抱き始めたのもこの頃でした。 -
家族や友達との思い出詰まる地元・森町が大好き
- 実家近くの海岸から内浦湾が広がり、海をみながら友達と遊んだり、家族でバーベキューをしたりした地元の森町は、思い出が詰まった大好きな場所。さらに夏場には隣町の鹿部町や函館市の椴法華(とどほっけ)といった道内の有名サーフポイントでサーフィンをトレーニングにとり入れていました。札幌市内の高校に通っていた頃は、冬場になるとばんけいスキー場まで板を背負い、地下鉄とバスを乗り継いで向かうこともありました。
その一方で、競技継続のためには学費や世界と戦うための遠征費なども必要になってきます。そんな時に知ったのが、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」でした。同世代のライバルで遠征や大会をともに戦う友人の一人、鍛治茉音(まのん)選手が参加していたことをきっかけに、「地域で育つ子どもたちの夢や地元愛を育むことへの貢献」という目的にも共感して応募を決めました。
23-24年シーズンは1月、ワールドカップで使用されるパイプを使った海外練習からスタートしました。世界で結果を出すためには、土地ごとの雪質やハーフパイプに親しんでいく適応能力が求められますが、それを向上させるためのシーズンを通した国内外での中・長期の合宿は欠かせません。このプログラムで集まった支援金は主に渡航費や現地での滞在費に充てる予定です。 -
けがをしたことで切り替えたマインド
- 22-23年シーズン、北村選手は19歳以下のハーフパイプの日本代表強化指定選手に選出され、各地で開催される大会で結果を出しながらナショナルトップチーム入りをめざす予定でしたが、2月下旬の大会の試合前練習で転倒し、脳振盪(しんとう)を起こしてしまいます。
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- ▲23年3月に行なわれたスノーボードジャパンカップ。結果は8位だったものの、納得のいく滑りはできました
22-23年のシーズンを迎え、北村選手は「ナインハンドレッドを完璧にしたい。今季はテンにも挑戦できればと思っています」と抱負を語っていました。ナインハンドレッドとは、900°つまり2回転半のトリック。さらにテンとは1080°、3回転という大技で、日本の女子では一握りのトップ選手しか成功していません。さらに転倒して大けがをするリスクも伴います。「怖くなる時もあります」と北村選手。それでもこの技を安定して決めることができれば世界挑戦への大きな武器になります。そして何よりも「もっとうまくなりたい」という小さい頃に抱いたシンプルな感情が大きな原動力になっています。「カッコいい滑りだねって言われると本当にうれしいので、それを見せることができれば」
しかし、けがの影響から「恐怖心で今までできていたことができなくなり、オフにはそれを克服するためメンタルの強化も行ないました」と振り返る北村選手。競技にけがはつきものですが、大きなけがではなく、なるべく小さいけがで済むようなトレーニングも行ないました。さらには、気分転換もかねて山登りもトレーニングに採り入れました。
「山登りって足場が悪いので、歩くのが大変だったり、結構長い時間歩くので、バランスや体力も鍛えられました。同じことを毎日やるのも大事だと思いますが、時には気分転換もかねて、『横乗り』だけじゃなくて、ロッククライミングなどいろんなことにも挑戦していきたい。何かにつながるかなと思います」
そんなトレーニングを続けるなか、心境の変化もありました。「シーズンに入ると結構メンタルがやられる。だから今年は、楽しくやろうと思って。そうしたら自分の思う滑りもできた。勝ちたい気持ちを持ちながら、スノーボードを楽しみながらやるマインドでいこうかなと。トレーニングもつらいから嫌いなんですけど、楽しみながらやる」
そして迎えた新シーズン。2月に行なわれた北海道選手権では4位と結果を残しました。「楽しんで練習をして、大会も楽しんで出たら、いろんな人が『何か滑りがカッコよくなったね』とか『滑り方いいね』と言ってくれた。頑張るだけじゃ気持ち的にもしんどくなる。頑張って頑張って負けたら、結構メンタルにもくるので、それなら楽しんで自分のできる滑りをして、それで結果が出なかったらもうちょっと頑張ろう。次の大会までにこれをできるようにしようっていう感じですね」と、北村選手はスッキリとした表情で語ってくれました。 -
地元の森町を「横乗りカルチャー」で盛り上げたい
- 海外遠征や練習、大会などで地元の森町を離れることも多い北村選手ですが、時間があるときには地元のスケートボーダーが多く集まる森町鳥崎川河川広場に足を運びます。北村選手はスノーボードより前にスケートボードを始めていたので、そこに行くと誰かしら知っている人と会えるそうです。
森町はスケートボードに対して寛容で、北村選手も「横乗りカルチャー」の普及のため、町とともに動き、町長と直接話をすることもあります。「森町で『横乗り』を盛り上げたい。そして、雪の少ない森町でもスノーボードは頑張れるということを子どもたちに伝えたい」。森町から、第二、第三の北村選手が現れる日も、そう遠くないかもしれません。
(取材・制作:4years.)