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雪のない街から世界へジャンプ! スノボを「見るだけ」から「楽しむもの」に
- プロスノーボーダーとして、スノーボードのスロープスタイルとビッグエアで活躍を続ける宮村結斗選手。3年後に迫った世界最高峰の大会への出場をめざしつつ、最終目標は「雪がほとんど降らない亀山市の人たちにスノーボードの楽しさを知ってほしい」と力強く語ります。地元をこよなく愛する17歳の挑戦は、まだ始まったばかりです。
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4方向から自在なジャンプ技 世界で2人目の高難度5回転も
- 第一学院高校3年生の宮村結斗選手(三重県出身、ムラサキスポーツ所属)はスノーボード競技の中で、障害物やジャンプ台が設置されたコースで滑走技術を競う「スロープスタイル」と、一つの大型ジャンプ台から飛び出して空中技で難易度や完成度などを採点する「ビッグエア」を専門にしています。
小学1年生のとき、親にレジャーで連れて行ってもらった雪山でスノーボードに出合い、「次第に夢中になっていき、6年生で大会に出場し始めた」そうです。 -
- ▲スノーボードを始めて滑れるようになった9歳ごろの宮村選手
2018/19シーズンにプロ登録資格を獲得。以後、様々な大会で活躍し、直近の22/23シーズンもスロープスタイルで全日本ジュニア選手権優勝、国際大会の COWDAY SLOPE ( Asian Cup )で準優勝といった実績を残しています。
スノーボードには利き足があり、主に右足を前にして滑る人と左足を前にして滑る人がいます。またジャンプは腹側で飛び出すフロントサイドと背中側で飛び出すバックサイドがあります。つまりジャンプは足の向きと飛び出す向きで計4方向があり、中でも利き足とは逆向きで、かつバックサイドで飛ぶ「スイッチバックサイド」でのジャンプが最も高難度とされているそうです。宮村選手は「4方向でのジャンプをどれも苦にせず飛べるのが、自分の強みです」と話します。
その強みが発揮されたのが22年10月でした。スイス遠征で「スイッチバックサイド1800」と呼ばれる5回転技を成功させました。これは「おそらく世界で2人目」という快挙で、宮村選手は「技でも世界で戦えるレベルに近づいてきた」と実感しています。 -
- ▲21年冬、FIS BIG AIR JAPAN CUPでジャンプを決める宮村選手
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世界の舞台へ飛び出し活躍するには多額の費用が必要
- 明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」は、知人のSNSを通じて知りました。
「最高峰の世界大会に出るためには、ランキングを上げて日本代表に入らなければいけません。それはこれまでのような国内大会だけでは難しく、ランキングポイントの高い国際大会で結果を残す必要があります。また、技術面でレベルアップを図るには、日本で雪がない時期に海外の雪のあるところでしっかり練習をしたい。でも、年間を通して海外に遠征すると、多額の費用がかかってしまうのです」
今は「両親に経済的にもすごく負担をかけてしまっています」といい、今後世界で戦うために必要となる経済的な支援を希望するとともに、地元のアスリートを応援しようとするプログラムの制度趣旨にも賛同しています。自身の競技環境を整え、その上で地元にも貢献したいと応募を決めました。 -
自然あふれる風景と人情が心身をいやしてくれる亀山市
- 三重県亀山市の宮村選手が生まれ育った地域は山と田畑に囲まれた自然豊かな土地で、地域の中ほどを中ノ川がゆったりと流れています。高校生になってからは遠征や練習で地元を離れることが多いため、「帰ってきた時は疲れた体を自然の中で休めたり、ランニングをする時に景色を楽しめたりできるのが魅力です。見慣れているけど懐かしいなと安心できる。離れてみてこそわかる亀山の良さを実感しています」と言います。
ランニング中には、地域の人たちとすれ違う時に「こんにちは」「おう、帰ってきてたのかい」などとあいさつをかわし、亀山の人々の温かさを感じるそうです。
コロナ禍では海外への行き来に煩雑な手続きや気苦労がありましたが、「地元は都会ほど人が密集しているわけではないので、マスクを外して走るなど、リラックスして過ごせました」と振り返ります。家族や友人と数々の思い出があると同時に、「現在進行形で楽しく生活できています」と宮村選手は笑顔で語ってくれました。 -
雪国出身選手との「経験差」を膨大な練習量で埋めた日々
- これまで競技を続けてきて、いくつもの壁を乗り越えてきました。
雪がほとんど降らない亀山市で育った宮村選手は、長野県や北海道といった雪国育ちの選手に比べて幼い頃から雪の上で過ごしてきた時間が短く、経験値が大きく不足していました。それでも「元々は差があっても、一日何時間という練習を何百回と重ねて、少しずつ追いついていくしかない」と努力を重ねてきました。
中学生の頃は、夕方に学校から帰ってくると、お父さんが運転する車で約2時間かけて約70キロ離れた京都府京田辺市にある練習施設に通っていました。3時間ほど練習した後、また2時間かけて戻ってくるため、帰宅するのは翌日の午前1時前後。「そういう生活が毎日続くのは大変でしたし、送迎してくれた父や母には感謝の気持ちしかありません」と宮村選手は言います。
また、スノーボードの技の習得は、「こうやればできるとわかっていてもできない時はしんどいです」というように、ある程度のレベルに達すると、そこからさらに上をめざすのは簡単ではありません。
「歩いて斜面を登るハイクアップを何度も繰り返しながら、練習で失敗を重ねると、メンタル的にも苦しい。でも、その中でもできるだけ楽しさを見つけるようにしています。あとはコーチの西村大輔さんからアドバイスをもらったり、練習仲間と会話をしたりして、できた時に周りと喜びを分かち合うことがモチベーションになっています」 -
- ▲22年10月、スイスへの海外遠征で
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世界で活躍して地元の人々に競技の魅力を伝えたい
- 宮村選手の現在の目標は、日本代表になって26年の世界最高峰の大会に出場することです。そのためには「技術や経験値を上げて安定感も磨き、海外の選手と戦って遜色のない成績を残していく」ことが必要と考えています。
あこがれているのは、レッド・ジェラード選手(アメリカ)。国際大会で活躍してきた世界トップレベルの実績に加え、「滑りのスタイルがカッコ良い」からです。
自身については、「身体能力は普通で何かが突出しているわけではありませんが、頭で考えて実行に移したり、考察して自分の滑りを分析したりできるタイプ。人に教えるのも得意です」と話し、いつか選手生活を退いた後はコーチや指導者として次の世代を育てることでスノーボード界に貢献する自身の姿も思い描いています。
いずれにしても、国際大会での活躍が最終ゴールではありません。宮村選手は「身近に雪がない亀山市のみなさんにとって、スノーボードはテレビで見るもの。僕が競技をしている姿を通して、亀山市や日本中のみなさんに、スノーボードやウィンタースポーツの楽しさやカッコ良さを知ってもらい、自分でも楽しんだり、会場で大会を応援したりしてほしいです」と、その視線をはるか未来に向けています。
(取材・制作:4years.) - ================
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