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「芦屋のカヌー聖地化」を目標に、兵庫県全体の競技力を底上げする存在に
- 2022年は3月に全国大会で優勝するもその後は結果が残せず、悔しさばかりが残る1年だった中田寛治郎選手。23年は18歳以下の世界大会に出られる最後の年、今後のカヌー人生の大きな起点にすべく、より自分に厳しく、競技力向上に貪欲になり果敢に挑戦することを誓います。24年の世界大会でのカヌー競技日本人初優勝を目標に、新たな環境でスタートを切りました。
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負けた悔しさを今も忘れないように
- 中田選手がカヌーを始めたのは小学4年生の時、作家でカヌーイストの故・野田知佑さんが校長を務めていた「川の学校」に参加したことがきっかけです。小さい頃から自然の中で遊ぶことが好きで、家族と淡路島や徳島県へキャンプに行っていました。
「川の学校」での経験からカヌーを絶対やると決め、兵庫県芦屋市のカヌー体験教室に申し込みました。「実はカヌースラロームをやりたかったのですが、スラロームのクラスはありませんでした。テンションがかなり下がりましたが、一度カヌーに乗ってみたら水上から見る街はいつもとまったく違う風景。その中で海を漕(こ)ぎ進むのが本当に気持ち良くて、次からは毎回楽しみになりました」 -
- ▲自然の中で遊ぶことが好きだった少年時代にカヌーの楽しさを知りました
- 中学でもカヌーを続けるため、近隣で唯一カヌー部のある芦屋国際中等教育学校を受験して入学。その後、初めて全国大会に出場しましたが、何もできずに予選で敗れました。「ようやく全国大会のスタート地点に立てたので浮足立っていたのかもしれません。県代表の監督だった遠藤小百合監督から、思うようにできずに負けた今の悔しさを忘れないことが大切だと教えてもらいました」。今でもその時の映像を繰り返し見て、負けた思いを忘れないようにしているそうです。
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追われる立場から追う立場になった焦り
- 5年次生(高校2年)になった中田選手は、海外派遣選手最終選考会シングル1000m優勝、インターハイペア8位入賞。そしてカヌースプリント・カヤックシングル1000mのU16日本代表としてチェコで行なわれた世界大会に出場するなど、日本カヌー界の次代を担う選手へと成長しました。
2022年3月には全国高校カヌー長距離選手権シングルで2連覇を飾りましたが、その後の海外派遣選手最終選考会で3月の選手権で勝った相手に、同じような大差をつけられて負けたことでメンタル的に追い込まれました。
「あと3カ月でインターハイが始まる中で、追われる立場から急に追う立場になって焦りがありました。試行錯誤して3カ月の中でできることを詰め込みすぎてしまい、その努力は競技向上につながらなかった」
1位をめざしてやってきた高校最後のインターハイの結果は6位。メンタル的には安定し、その時の全力は出せたのですが、周りの選手が3月から伸びている中で、中田選手だけは技術面は伸びていなかったのが原因だと振り返ります。 -
ジュニアで世界大会に出られる最後の年
- 「22年は悔しさばかり残る1年」と語る中田選手は「何より楽しんで競技を続ける」と気持ちを切り替えて挑んだ23年3月の海外派遣選手選考会U18で500m4位、1000m2位の結果を残し、7月にイタリアで行なわれるジュニア&U23世界選手権大会のジュニアフォア(4人艇)メンバーとしての出場権を獲得しました。
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- ▲カヌー人生におけるジュニア最後の年だからこそ結果を残したいと意気込みます
- 23年がジュニアで世界大会に出られる最後の年。今後のカヌー人生の大きな起点にすべく、より自分に厳しく、競技力向上に貪欲になり果敢に挑戦する中田選手にとって、大学進学によって練習環境が変化したことも追い風になりそうです。
カヌースプリントでは日本最高峰の立命館大学にスポーツ推薦で合格し、現在は練習の場を琵琶湖に移し、日々鍛錬を続けています。これまでの芦屋の海水から、琵琶湖の淡水に変わったことは、大きなメリットだと感じているそうです。
「淡水は水が重く、よく言えばつかみやすいけど、ひとパドルが重くなる。海は水が軽く、ピッチは上げやすいが波があるので練習はしにくい。しかし、波があるぶん体幹を鍛えることができます。荒れてしまうとだめなので試合は湖がメインになりますが、練習環境的には海の方がいいと思っているんです。海でこれまでやってきたので、その力を身につけた後でいい環境で練習できている」 -
「芦屋のカヌー聖地化」に向けて
- アスリートとして、世界大会への出場や好成績を残すことのほかに、中田選手には「芦屋のカヌー聖地化」という目標があります。世界大会を経験してもっとカヌーを盛り上げ、国内でもメジャーなスポーツにしたいと感じています。「カヌーの聖地と言われる石川県小松市に負けないカヌーの街にしたい。そのためにも私自身が世界大会で結果を残し、積極的に芦屋市やカヌーのことを発信していきます」
中田選手が明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知ったのは山梨県のアスリート、カヌースプリント・カナディアンの渡邊舜太選手の記事を読んだことがきっかけでした。
「カヌーはマイナーなスポーツなので、競技ができる場所は限られています。そのため、移動に時間と費用がかかります。いただいた支援はその分に充てたい」。22年に初めてプログラムに参加した中田選手にとって、うれしい再会もありました。
「小学校の時に空手をやっていて、何年か東京に住んでいました。その頃の先生にも支援していただきました。カヌーをやっているのは知っていたけど、クラウドファンディングに自分(中田選手)が参加していることを知って驚いていましたね」
さらには、中田選手のインスタグラムを見つけてカヌーを始めた地元の子供たちもいます。「いい影響かは分からないけど、カヌースプリントという競技を(始めるきっかけを)提供できたのがうれしかった。今もDMで技術面のことを聞いてくれるので、こういうふうに漕いだ方がいいよとアドバイスしています」
「練習中に夕日と空がマッチしてオレンジがかった空と六甲山が見えることがあります。海から見る夕日がかかった六甲山がすごくきれいなんです。このためにカヌーをやっていると思っちゃったりする。自然と間近なスポーツだからカヌーをしているなと思います」
中田選手は、自然の中で遊ぶことが好きだった幼い頃の気持ちを持ち続け、自然と一体になれるカヌーを楽しむとともに、兵庫県全体の競技力を底上げする存在となるアスリートへ成長し続けています。
(取材・制作:4years.)