-
自身のレース活動を地元貢献につなげたい! 笠間市の期待を背負い国際大会の舞台へ
- “自転車の格闘技”とも言われているBMXに魅了され、競技人生をスタートさせた岡本選手。高校時代に経験した大きなけがと付き合いながらの競技を続けるなかで、原動力となったのが地元住民やファンからの大きな声援。競技成績はもちろん、人柄も磨いて世界に羽ばたいていきたいと語ってくれました。
-
8人で競い合う迫力のレースに魅せられ、競技にのめり込む
- 茨城県笠間市に住む流通経済大学3年生の岡本春斗選手が、BMXを始めたのは父親・吉功さんがきっかけ。ロードバイク愛好者である吉功さんの影響を受けて一緒に走るうちに、BMXに興味を持つようになりました。「8人フルゲートのレースで一斉に走り始めて、ぶつかり合ったり空中でジャンプしたりしながら競り合うスポーツって他にはないと思うんです。危険も伴うけどその分、魅力も大きく、他のスポーツにはないスリルが味わえます」と語ります。
2020年5月、日本B代表選手としてUCI(国際自転車競技連合)BMXワールド・チャレンジ大会に挑む予定でしたが、資金調達がままならず、参加を断念。結局、その大会は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となりました。21年は、西日本3戦目の広島、J2シリーズ秩父大会で優勝しただけでなく、大阪で行なわれたジャパン・カップでもクラス優勝を果たすなど、国内大会で確実に結果を残しました。
22年シーズンは、けがの影響から大会にほとんど出られませんでしたが、翌年以降を見据えコンディションを整える1年となりました。そして23年から正式に競技復帰を果たしました。 -
- ▲「“自転車の格闘技”と呼ばれるなど、危険を伴いながらもダイナミックな部分がBMXの魅力」だと話す岡本選手
現在では、奮闘を続ける岡本選手の姿に刺激を受けた妹の彩桜さんも、ともに練習場に通う日々。兄妹で世界をめざしていることから、笠間市民も一丸となって応援しています。大きな目標のひとつは、もちろん4年に1度の世界最高峰の大会です。08年の大会から正式種目に選ばれたBMXは、世界からも注目されています。21年の大会でも注目を浴びたこの競技において、兄妹そろって世界を舞台に活躍することで、BMX、そしてスポーツの楽しさを多くの人に伝えたいと躍進を続けています。 -
BMXを通して、地元への貢献活動を続ける
- 資金不足から国際大会への出場を諦めたこともある岡本選手に、明治安田生命の「地元アスリート応援プログラム」を勧めてくれたのは、笠間市のスポーツ振興課(当時)でした。
「『こういう制度があるよ』と教えていただいたときは、アスリートにとってすごくありがたいことだと思いました」と岡本選手は言い、地元のアスリートを応援しようとする制度趣旨に賛同。「スポーツはどうしてもお金がかかるので、資金を用意できないことで、次へのステップを断念せざるを得ない選手も多いと思うんです。そこに支援をいただき可能性を広げることができたら、世界で活躍する選手がもっと増えるはずです」
遠征費を確保できたら、もっと多くの国内外の大会に出場できるようになります。それは岡本選手がめざす世界大会で記録を出すトップアスリートという夢に、大きく近づくことにつながります。
20年からこのプログラムの支援を受けており、その時に実施したクラウドファンディングをきっかけにして、BMXの情報を発信するInstagramを開設しました。「友達にも相談して『普段の写真とかでもいいんだよ』とアドバイスをもらったんですけど、でもそれでいいのかなと悩みながらやっています」と岡本選手。またクラウドファンディングの取り組みも含め、地元のラジオ番組や地方紙で自分のことを紹介する機会に恵まれました。自分のことを広く知ってもらうきっかけになり、その反響に岡本選手もビックリしています。
「今までは元々自分のことを知っている人から応援してもらえていたのですが、こんなにいろんな方から応援いただくのは初めてのことだったので、すごくうれしかったです。BMXという競技の認知度が上がるなかで、自身が活躍することで地元・笠間市の地域貢献にもつながれば良いなと思っています」と話す岡本選手は、けがをしていた22年シーズンにも積極的に地元の活動に参加。道の駅で開催されたBMX体験講座で子供たちに競技の楽しさを伝えるなど、言葉通りBMXを通した地元貢献にも力を入れています。 -
もはや生活の一部、年末年始に訪れる「笠間稲荷神社」
- 岡本選手の地元・笠間市には、日本三大稲荷に数えられる「笠間稲荷神社」があります。「競技中はいつも守られている感じがするんです」。そう話す岡本選手が着用しているウェアのブランドは「FOX」。キツネをロゴとしたブランドに親しみを感じています。
「BMXは“自転車の格闘技”と呼ばれるスポーツ。心技体を整えていても、神頼みが必要だと感じる瞬間があるんです」と言い、年末年始などのタイミングなどには必ずお参りしています。
また、毎年春に行なわれる「陶炎祭(ひまつり)」や、光のオブジェ(ねぶた)と神輿パレードで盛り上がる夏の「笠間のまつり」(21年開催を最後に終了)も大好きなイベント。祭りではいつも岡本選手のことを応援してくれているまわりのみんなも一緒になって盛り上がるため、祭りで地元のぬくもりに触れるたびに、「いい街だな」「自分の活躍でいつか恩返ししたいな」と感じています。 -
恐怖心も乗り越えて、けがと付き合いながらの競技活動
- 高校1年生の頃、ひざの靱帯の断裂を経験している岡本選手。ジャンプの練習中に踏み外して体勢を崩してしまい、靱帯が伸び切った状態で着地してしまいました。そこから1年間は自転車に乗れず、医者からも「今までのように走ることは難しい」と言われていたそうです。
しかし、もう一度走りたい一心でリハビリに励み、なんとか復帰。それでも練習でけがをした場所に差しかかると、思うように体が動きませんでした。「自分でも無意識にセーブしていたんだと思います」と当時を振り返ります。
勇気を振り絞りながら諦めることなく練習場に通い続けた結果、1カ月後には恐怖心を克服。再びジャンプできるようになり、その後は国内大会で優勝を果たすなど結果を出し続けています。
22年のけがも当時と同様、靱帯部分でした。「正直な話、伸び切った靭帯が治ることはありません。力を入れたときに緩みを感じても気にしていなかったんですが、やはり競技に影響が出てしまいました。先生と相談して手術も視野に入れた話し合いでしたが、1シーズンを棒に振ってしまうと大学4年生。競技に打ち込める時間が少なくなるため、手術を回避して保存療法を選択しました」と岡本選手。古傷ともうまく付き合いながらの競技生活が続きます。 -
大学での学びが競技活動にも生きる。将来はコーチや先生に
- 「BMXは脚力や筋力が大事なスポーツなので、大きな大会で結果を出すなら20代のうち。国際大会でも20代の間に結果を出せるよう、全力でチャレンジしていきたいです」。もちろん、その先の未来もしっかりと見据えています。「ゆくゆくはコーチやインストラクターとして、BMXやスポーツの魅力をたくさんの人に伝えたいので、まずは大学のスポーツ健康学科で見識を深めたいです」という思いから、流通経済大学への進学を決めた岡本選手。
「大学では体の適切な動かし方や、けがをしてしまった時の応急処置の方法についても、きちんと学びたいです。BMXはコースに入った以上、一緒に走る選手とも助け合うことが大切。万が一の時にはすぐに駆け付けて応急処置をしてあげられるよう、知識や技術を磨いていきたいです」
授業での学びは自分の競技にも生かしています。また将来的に体育教師になることを見据え、教員免許も取得する予定です。 -
誰からも応援してもらえるように、人間力も磨いて世界で活躍したい
- あこがれの選手は、国内トップクラスの選手のひとりである菊池雄選手だと明かしてくれました。
「競技の成績がいいというのはもちろん、それ以上に人柄を尊敬しています。自分が小さくて、周囲になじめなかったころからよく話しかけてくれたし、自分以外の誰に対しても優しくて明るい人です。スポーツで結果を出そうと思ったら、やっぱり人柄ってすごく大切。例えば同じくらいの実力のふたりの選手がいたとして、ひとりは無愛想でもうひとりは人当たりがよければ、後者を応援したくなりますよね? それに、たくさんの人に応援してもらっている以上、感謝の気持ちを忘れず、常に恩返しの気持ちを持ってまわりの人に接することは大事だと思うんです」 -
- ▲子供向けのBMX体験会など、競技の魅力を伝えるために積極的に地元イベントに参加する岡本選手
今後の目標は日本代表に選ばれて、世界を舞台に活躍すること。「まだ日本の中でしか戦ったことがないので、世界の選手がどれだけ強いのか自分の力を試してみたいんです。そのためにも、まずは代表に選ばれることが大切。J1、J2カテゴリーで優勝してポイント1位で抜けられるのはもちろん、1位を取れば代表確定となる全日本選手権で必ずや優勝したいと思っています」
支えてもらうことのありがたさを、身をもって知ったことで、「いずれは自分が支援する側にもなってみたい」と岡本選手。競技力とともに人間性も磨きながら、多くの人々の支えを力に変えていきます。
(取材・制作:4years.) - ================
2024年2月29日をもちましてクラウドファンディングを終了いたしました。
ご支援をいただきまして、本当にありがとうございました!
■支援者一覧(順不同、敬称略)
蓮見陽介、明治安田生命保険(相)水戸支社有志、タナカ