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小さくても世界に通用するところを見せて、京都のみんなを元気づけたい
- フェンシングには相手の体の胴体だけを攻撃できる「フルーレ」と、上半身を攻撃できる「サーブル」、体のどこを突いてもよい「エペ」の3種目があり、特にエペは世界と比べて小柄な人が多い日本人は世界では不利と言われています。しかし、そのエペで海外の大柄な選手にも果敢に挑む身長162cmのフェンサーが京都にいます。
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波があったこの1年、国際大会では収穫も
- 龍谷大学付属平安高校3年の太田陽詩選手の2022-23年シーズンは波のある1年でした。22年3月、全国高等学校選抜フェンシング大会の女子エペで優勝を飾り、4月末にはエジプトで開催されたシニアのワールドカップに出場するなど順調に新シーズンを迎えましたが、8月末に突然、体調を崩してしまいました。
「試合にも出られない時期がありました。スランプとかではなく、気持ちの問題が大きかった」。そんな太田選手が気持ちを切り替えて前向きになれたのは、優しく声をかけてくれた人や、あえて何も言わず待ってくれたコーチ、そして、新たに増えた家族の存在がありました。
「その頃に犬(まるちゃん)を飼い始めました。まだ1歳になっていないマルチーズですが、リラックス効果がすごくて、まるちゃんがいたことでまた頑張ろうと思えたのが一番かもしれません」
その効果か、23年1月のJOCジュニア大会では、女子エペの部で準優勝と復活。2月にイスタンブールで開催されたジュニアワールドカップではベスト32。参加した8人の日本人選手の中では2番目、「前回は180位ぐらいだったので、成長できているのかなと思いました。順位もそうなんですけど、自分が戦っている雰囲気、戦っている感じがつかめた。そして大きい人と戦う時の感覚も」。
「小柄な私でも世界で勝つ姿を地元・京都の人に見てもらい、勇気を持ってほしい」と、フェンシングと出合い、共に成長してきた場所である京都への恩返しに手応えを感じたシーズンにもなりました。 -
- ▲小さいなりの戦い方を23年は確立したいと練習に励む太田選手(朝日新聞社撮影)
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フェンシングとの出合いは必然だった
- 太田選手にとって、フェンシングとの出合いは必然でした。フェンシング選手だった父親の試合を家族で応援に行った小学4年生の時、太田選手は一瞬で「剣がカッコいい! 私もやりたい!」と魅了されました。有言実行とばかりに、試合会場に出店していたフェンシングの道具を扱うショップで剣とマスクを買ってもらい、地元のフェンシングスクールに入り、フェンサーとしての生活がスタートしました。
「基本的に行動派で、その中でも時々コレ!というツボがある。フェンシングはまさにそうで、ある日突然ツボにはまりました」
最初は日本でも盛んな、得点を取るために突く有効面や攻撃権がある「フルーレ」からスタートしましたが、太田選手がひかれたのは、体のどこを突いてもよく、同時に突けば両者に得点が入る「エペ」。シンプルだからこそ駆け引きが勝敗を左右するエペに夢中になりました。
「6年生になってからエペとフルーレ、両方やっていて、全国大会でどちらも上位入賞して世界大会出場の権利を得ました。その時初めて『どっちを選ぶ?』と言われて、迷わずエペを選択しました」
身長162cmの太田選手はフェンシング選手の中でも決して大柄ではなく、むしろ小柄な方に属します。両者同時に突く“相打ち”も得点になるエペは、背が高く手足が長い方が必然的に有利に。日本人が世界で勝つことは難しいと言われてきた種目ですが、太田選手は自分の小ささをあえて武器にし、大きな相手に勝つための方法を日々の練習から探っています。
「エペは頭の駆け引きが大切なので、小さい私でも大きな相手の懐(ふところ)に入り込んでだますようなプレーが決まるとすごく楽しい」 -
京都の学校に進み、チームメートと切磋琢磨
- 小学校を卒業した太田選手は、フェンシングの名門である京都の龍谷大学付属平安中学校に進学しました。世界で戦う多くの選手を輩出した強豪校ですが、実はフルーレが専門のチーム。自身の種目に特化した技術練習が十分にできる環境ではありません。中学生の頃はエペを専門とする地元の社会人クラブに通いましたが、高校生になった今はさらに時間も限られるため、日々の部活動を終えてから社会人クラブに通う時間はほとんどありません。
それでも太田選手があえて「平安」を選択した理由。それは、フェンサーとしての自分を育ててくれた地元で「強くなりたい」と決めたからでした。
「フェンシングを始めたきっかけや、フェンシングの基礎となる部分を教えてくれたのは京都の人たちだったので、その人たちに恩返しするためにも地元の関西、京都に残って自分が結果を出すことで元気づけたいと思いました。フルーレ専門の高校ではありますが、それでもOB・OGの方々が私のためにエペの練習に来てくれて、みんながサポートしてくれるので、とてもありがたいです」 -
- ▲不利な練習環境、小柄で不利な自分でも「世界で勝てる日本人」となって京都の人を元気にしたいといいます
- 高校生になって約1年後、22年3月に行なわれた全国高校選抜フェンシング大会で、女子エペ、そしてフルーレで優勝。平安高校にとって女子の団体優勝は初の快挙でした。
「初めての全国選抜で、頑張って勝ちたい!と思っていましたけど、しっかりと勝ち切ることができて良かった。団体戦でも自分が頑張らないと、というのがあって、緊張しましたけど、何とか乗り越えることができました」と、太田選手は試合を振り返ります。
そして23年3月、平安高校は2種目で2年連続2冠を達成。「チーム内では全員が2種目2連覇を目標にしていましたけど、両種目同じ日にこなさないといけないので体力的にきつい面がありました。試合が終わって、もちろん喜びもありましたが安心感のほうが強かった」と、太田選手。チームが一丸となってつかんだ栄冠でした。 -
「地元の方々に勝つ姿を見せたい」
- 日本全国、さらには世界を舞台に戦う太田選手のことを家族は全力でバックアップしてくれますが、防具や剣など必要な道具も多いフェンシングはお金がかかる競技でもあります。自分の夢を実現するために支え、ともに戦ってくれる家族のサポートを受けながらも、太田選手は「競技者である以上、自分で必要な道具をそろえて戦える選手になりたい」と思い続けてきました。それが21年に明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」に応募したきっかけです。
「世界で戦うための遠征や、道具の購入に充てたいと思ったのもありますが、一番は私が世界で勝つことによって地元に貢献、地元を元気づけたいと思ったからです。いつも応援してくれる地元の方々に勝つ姿を見せたいです」
22年には、シニアのワールドカップとジュニアのワールドカップに出場し、1カ月の長期遠征も行ないました。今後、さらに世界を舞台に経験を積むためには海外遠征は欠かせません。「やっぱり金銭面(の支援)はすごく助かりました」と、照れながら本音を語る太田選手でした。 -
大好きな地元「エペも京都」に
- フェンシング、そしてエペの魅力を京都の人にもっと知ってもらいたいと、太田選手は人が集まりやすく交通の便がいい京都市内の体育館を借りて練習会を行なっています。「地元の大学生が中心で、練習したい人が集まっています。この活動もさらに充実させて、京都や関西でのエペ人口を増やし、『エペも京都』という環境を作っていきたい」と、自身の練習環境の改善とともにエペの楽しさを多くの人が体感できる環境をつくっている太田選手。
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- ▲お気に入りのお店の前で、優しいマスターと癒やしのまるちゃんと一緒に
- フェンシングを続けてきた場所である京都に、太田選手の最近のお気に入りの場所があります。伏見駅の近くにあるカフェ「シェロズクラフト」です。
「母と検索して、たまたま行ったお店ですが、閉めかけのお店をわざわざ開けてくれて作ってくれたパスタがすごくおいしかった。見た目は強面(こわもて)のオーナーですけど、見た目によらず繊細で美しく、おいしいパスタを作ってくれるんです。試合の話をすると『すごいね』って聞いてくれて。食べたくなったら行っています」
まだまだ発見がある京都。太田選手の京都への思いは尽きることがありません。4年に1度の国際大会に出場して結果を残し、お世話になっている京都の人々に恩返しをする。練習環境が厳しくても、海外の選手に比べて小柄でも頑張っている太田選手の姿は京都の人だけでなく、多くの人にも勇気を与えてくれるでしょう。
(取材・制作:4years.)
※ヘッダーとプロフィールの写真はⒸ日本フェンシング協会/Augusto Bizzi/FIE