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今シーズンこそワールドカップで表彰台へ! 奈良県を拠点に世界一をめざす
- スポーツクライミングの選手として、国内屈指の実力を誇る19歳、谷井菜月選手。2022年はワールドカップの各大会で軒並み上位に食い込み、アジア選手権では銀メダルを獲得するなど、世界の舞台で結果を残してきました。ただあと一歩の差で表彰台を逃し、悔しい思いをしてきたことも事実。23年こそはワールドカップで表彰台へ。強い気持ちで挽回を誓います。
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着実な進歩でワールドカップでも決勝の常連に
- スポーツクライミングは、安全ロープをつけて高度を競う「リード」、登り切った回数を競う「ボルダー(ボルダリング)」、速さを競う「スピード」の3種目からなります。競技との出合いは小学2年生の時。遊びに行った先でクライミング体験をしたその日に、課題(設定されたコース)をクリアする達成感を味わい、すぐ夢中になりました。以来、毎週末ジムに通うようになり、めきめきと頭角を現します。
そして、中学2年生でユース日本代表に選出されると、オーストリアで開催された世界ユース選手権のコンバインド種目(「リード」「ボルダリング」「スピード」の3種目を複合して採点する種目)で優勝。谷井選手自身、経験がなかった優勝という偉業を海外で成し遂げたのです。
「初めての優勝はすごくうれしくて、すごく自信にもなりました。それまではクライミングに対してどこか“遊び”という感覚もあったのですが、この大会をきっかけに“競技”として向き合うようになりました」 -
- ▲20年の「第8回リードユース日本選手権南砺大会」のユースAカテゴリーで優勝しました
- 谷井選手が得意とする種目は「リード」です。制限時間の6分間で、高さ12m以上の壁に設定されたコースを登ります。「疲れていても力を振り絞り、最後の一手まであきらめない。そういう気持ちの強さは持っていると思います」。メンタルの強さに加え、壁に設置されたホールドとホールドの間を動いていくムーブの引き出しの豊富さも、谷井選手の大きな武器。自由な発想で動く谷井選手のムーブは、独特のスタイルを持っています。
21年、17歳の時に出場したクライミングワールドカップ3大会(リード種目)でいずれも上位に食い込み、初めて出場した世界選手権では世界のトップクライマーと互角に戦い、6位の好成績を残しました。そして22年は同ワールドカップ全大会に出場し、7戦のうち6戦で決勝進出。表彰台まであと一歩という試合もありました。
「ゴールさえしっかりつかめていたら準優勝だった大会もあったので、それは悔しかったですね」。それでも谷井選手は、同年10月のアジア選手権で、リードとボルダリングのコンバインドで銀メダルを獲得。着実にトップクライマーとしての地歩を固めつつあったことは間違いありません。 -
まさかの予選落ちを経験……次は必ず表彰台に上る!
- そして23年春、谷井選手はボルダー&リードのジャパンカップに参戦しました。
「24年の(最高峰の大会に出場する)日本代表選考のための試合にもなっていて、すごく重要な試合でした。ところが、国内の大会では何年ぶりかというぐらいに、予選落ちしてしまい、本当に悔しい思いを味わいました。重要な試合だと思い過ぎてしまい、ボルダーの予選でうまく登れなくて、それで流れを失ってしまったと思います」
24年の世界大会を大きな目標に掲げていましたが、この時点でほぼ可能性はなくなったといいます。それでも谷井選手はすぐに気持ちを切り替えて、次の目標に照準を定めています。
「23年もリードのワールドカップには(日本代表として)全部参加させてもらえるので、そこで何がなんでも表彰台に乗りたいし、少なくとも去年よりいい成績を残したいと思っています。1つでも表彰台に乗れたら、次は優勝をめざしたいです」
悔しさをパワーに変えて、谷井選手のチャレンジは続きます。 -
- ▲「リード」が得意で、ムーブは独特のスタイルを持っています
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地元や企業のさまざまな支援を糧に
- 生まれも育ちも奈良県橿原市。海外での試合や、国内でも地元を離れての試合が多い谷井選手ですが、橿原に帰ってくると近所の方々が「テレビで見たよ」と声を掛けてくれたり、学生時代は同級生たちがノートを貸してくれたりと、地元の人たちや友達の温かさを常に感じてきました。
明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知ったきっかけは、橿原市長を表敬訪問した時でした。「その時にいらっしゃった市役所の方が『地元アスリート応援プログラム』を紹介してくださったんです。母親と一緒に制度を詳しく調べて、『スポーツには、人を“元気にする力”“集める力”“結びつける力”がある』という考え方にひかれて応募しました」
それは、谷井選手がクライミングという競技を通じて、まさに実感していることでした。「クライミングをやっているおかげで、海外の選手とも言葉を使わずに、結びつきを感じた経験があります。試合を見に大勢の人が集まり、難しい課題に挑む選手を一丸となって応援するのもクライミングのいいところです。私は、地元の奈良の方にワクワクしてもらえる活躍をすることで、奈良を元気にできたらうれしいと思っています」
地元や企業などのさまざまな支援を糧に、世界と勝負する谷井選手です。 -
- ▲「いつかは地元でクライミングの体験会を開きたい」と話す谷井選手
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いい成績を残していい報告をしたい
- 橿原は大和朝廷時代の中心地で、藤原宮跡をはじめ歴史が息づき、美しい自然にあふれた土地です。季節ごとに、お気に入りの花の名所がそれぞれあり、谷井選手は自然に癒やされることが気分転換になっています。
「遠征の時は、お母さんが作ってくれるご飯がすごく恋しくなります。どれもおいしくて、好きなメニューは一つに決められませんけど、試合が終わると、『ああ、早く食べたいな』っていつも思っています(笑)」
橿原の肥沃(ひよく)な土地が育む野菜も大好物。特に自宅で祖母が作っているさまざまな野菜や果物が、パワーの源にもなっています。「家の横の畑で、農薬を使わない野菜を作っているんです。コロナ禍で学校が休校になった時は収穫の手伝いもしていました。旬の採れたてを食べられるのが幸せですね。特に海外に行った後は、すごく食べたくなります」
また、クライミングに出合い、いまも拠点にしているジムがあることも、谷井選手が地元を愛する大きな理由です。
「特にコロナ禍によって、他の地域に遠征して練習することが難しくなり、ホームジムが地元にあるありがたさを実感しています。自宅から車で30分ほどのところにあり、送り迎えをしてくれる両親にも感謝しています。ずっと大切に育ててくれたこのジムに愛着がありますし、選手のことを第一に考えてくれるコーチの存在が本当に大きいです。これからも、変わらずいまのジムをホームにしてクライミングを続けていきます」 -
数多くのクライミング機会
- 23年シーズンはワールドカップでの表彰台をめざすという谷井選手ですが、実際に世界のトップ選手たちと戦ってみて、自身の課題をどう捉えているのでしょうか。
「メンタル面では特に課題は感じていません。しかしフィジカル的な面では、正直、全体的に(足りていない)です。特にリード競技では持久力にも限界がありますから、どれだけ節約しながら登っていくかが大切ですし、登るルートを一発で決めることができたら、体力も節約できます。また、難しいパートがきた時に自分はちゅうちょしてしまうことがあって、くよくよしている間に体力も失ってしまうので、そこが課題だなと思っています」
クライミングには、体力や筋力といったパワーだけでなく、登るルートを見極め、判断するといった知力も必要です。そのためには数多くのクライミング経験を重ねることが大切です。
トレーニングのために県外のクライミングジムにも遠征します。関東地方の施設まで行くこともあります。そして、世界で戦うためには海外への遠征も必要不可欠です。これまでのプログラムで集まった支援金は、「主に遠征費に充てさせていただきました」と谷井選手。今後の飛躍のためにも、大きな支援があればあるほど、谷井選手の力となることは間違いありません。
「史上初のワールドカップ全勝優勝をしたスロベニアのヤンヤ・ガンブレット選手に憧れているのですが、いつかはガンブレット選手を超えるくらい強くなって、世界の人たちが注目する舞台で活躍したいです。 クラウドファンディングを通じて、多くの方々にご支援いただき、とても感謝しています。ご期待にお応えできるよう、精いっぱい努力していきますので、今後もご支援どうぞよろしくお願いいたします」
(取材・制作:4years.)