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地元の期待裏切った高校時代の痛み胸に 今度こそ日本一になる姿見せる
- クロスカントリースキーが盛んな北海道鷹栖町(たかすちょう)で生まれ育った梅澤聡嗣選手は2023年春に高校卒業後、U20日本代表の恩田祐一コーチが指導する明治大学へ進学しました。梅澤選手は高校2年生でインターハイ4位となり地元で全国制覇への期待が高まりましたが、自身の気負いすぎもあって3年生では失速。高校では成し遂げられなかった日本一を目標に、今度こそ町の人たちを喜ばせると決意しています。
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キツネも鹿もいる鷹栖町 名産は甘~い「オオカミの桃」
- 23年春に明治大学へ入学した梅澤聡嗣選手はクロスカントリースキーの選手です。スキー部の寮は東京都中野区にあり、北海道鷹栖町出身の梅澤選手は初めて地元を離れての生活を送ります。まだ戸惑うこともありますがトレーニングを始めています。
「今は東京にいるので筋力や瞬発力を高める練習、関節の可動域を広げるトレーニングなどをしています。夕方からスローペースでランニングに出かける時もあります。東京の夜は人や信号も多いし明るいですね。カエルの鳴き声もありません。地元とは異なりますがだいぶ慣れてきました」
梅澤選手の地元である鷹栖町は北海道のほぼ中央にある上川盆地にあります。旭川市の隣に位置し人口は6500人ほど。稲作や野菜作りなど農業が盛んなほか、野生動物も多く、梅澤選手自身も鹿が川岸を散歩しているのを目撃したり、キツネに追いかけられたりした経験があるそうです。 -
- ▲地元鷹栖町名産の高級トマトジュース「オオカミの桃」は梅澤選手もお気に入り
名産の高級トマトジュース「オオカミの桃」は、鷹栖町の澄んだ空気と長い日照時間、そして盆地特有の昼夜の大きな気温差が生み出す甘みの強いトマトが原料。お取り寄せグルメの人気商品として全国にファンが多く、梅澤選手も子どもの頃から地元のスキー大会の賞品としてたびたびゲットし、「果物のように甘くて、すごく気に入っています」と太鼓判を押します。
町内にはクロスカントリースキーのコースがあり、町内で開催される「たかすオオカミの里北野クロスカントリー大会」は23年で33回目を迎えます。梅澤選手も小学生になると地元のスポーツ少年団に入り、夏は陸上、冬はクロスカントリーという「二刀流」で育ちました。
「小学校は全学年で200人ほど。そのうち20人くらいはクロスカントリースキーをやっていたと思います。小学4年からは陸上をやめて野球をするようになりましたがクロスカントリーは続けました」
鷹栖町では、クロスカントリースキーは競技人口も多い人気スポーツです。「大会の結果が新聞に載ると町の人が声をかけてくれてそれが誇らしかったです。自分が頑張ることで町のみんなが喜んでくれることが、今でも大きなモチベーションです」 -
- ▲競技を始めた小学1年生のころの梅澤選手
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記録も心肺機能も伸びたのに… 気負いすぎが生んだ失敗
- 梅澤選手の強みは、スタート直後やレース中に、一気にトップスピードに入れる爆発力です。「小4から中3までやっていた野球では投手や遊撃手、1番バッターを任されていました。ホームランを打ったこともあり、瞬発力や爆発力には自信があります。クロスカントリースキーでは相手との競り合いなどで爆発力が必要な局面が多いので有利だと感じます」
高2のインターハイでは10kmクラシカル4位、高校選抜でクラシカル9位という成績を残しました。「町長さんが直接祝福してくれて、自分自身も『次は日本一だ』と気合が入りました」。練習のタイムを伸ばし、心肺機能も大幅に強化して臨んだ3年のインターハイ。誤算も重なり、クラシカル42位、フリー24位と不本意な成績に終わりました。 -
- ▲4位入賞した高校2年生のときのインターハイ10kmクラシカル
「2年の頃は挑戦者だったので積極的に攻めていけたのですが、3年では気負い過ぎて守りに入り、自ら動けませんでした。走行中のコース選択やワックス選択でもミスがあって反省すべき点が多かったです。大学では巻き返してみせます」 -
地元の星は東京へ 活躍する姿を故郷の人に見せる
- 現在の目標は、高校時代に届かなかった全国優勝を大学でかなえること、そして地元の人たちに喜んでもらうことです。
「高校時代は自宅から学校までの道を自転車通学していましたが、私がクロスカントリースキーをやっていることを知っている人も多く、通学中に町の人から『頑張っているね』とよく声をかけてもらいました。それだけに3年で結果を残せなかったのは残念ですし、大学で結果を出して今度こそ喜んでもらいたいです」
明治大学はU20クロスカントリースキー日本代表の恩田祐一コーチが指導しています。現役時代はスプリントの名手としてワールドカップで4位になった実績もある指導者です。
「同年代のナショナルコーチでスプリントの名手でもあった恩田コーチに指導を受けたいとずっと思っていました。コーチは長野県で活動しているので入学してからまだ直接見てもらったことはありませんが、早く長野へ行きたいです」 -
偉大な先輩たちから学んだ経験 いつか自分も後輩に伝えたい
- 最高の練習環境を求めて明治大学へ進学しましたが、鷹栖町にいた頃とは異なりコースで練習するには遠征費が欠かせません。しかし親に頼らずできる限り自分でまかないたいと考えています。そのような時、明治安田生命「地元アスリート応援プログラム」を知りました。
「地元アスリート応援プログラムに参加されていたスノーボードの地下(じげ)綾音選手は北海道出身で世代が近いこともあり知っている選手です。地下選手の活動をみて、私もずっと応援してくれている鷹栖町へ貢献したいと考えてプログラムへの参加を決めました」
梅澤選手は高校時代、北海道出身の先輩アスリートから多くを学んできました。「元競輪選手石井啓午さんと練習させてもらったほか、スノーボードの竹内智香選手が町に呼んでくださったトレーナーからは身体の使い方やケア方法を教えていただきました」。梅澤選手自身も将来、地元の後輩たちに経験を伝えたいと考えています。
「ご支援いただいたお金は遠征費に使用させていただき、目標である日本一へとつなげ、先輩アスリートのように私も将来は鷹栖町で後輩と一緒に練習し、教室を開けるようなアスリートになりたいと思います」
(取材・制作:4years.)